今どき珍しカトリック美女と語らふフランスの今昔【2】 〜カトリックの人の価値観と考えに学ぶ編〜

このカトリックの令嬢は、伝統主義者である。日本人の知り合いなんて僕しかいないし、別に日本語ができるとかそういう訳ではないが、伝統と近代的なものが融合する日本というものに淡い興味や期待を持っている。

 

それもそのはず、ミサに行ったらジジババしかいないのに、今時若者に珍しいカトリックである。ということは、伝統的なものに重きをおく家庭に生まれ、育ったからそうなっているのである。

 

彼女のおかげ様で、僕は彼女と比較しながら自分を分析する。
普通の日本人の多くが、先祖を敬い、家の由来を知っているように、うちも普通にそうだし、墓参りもするし、ここはちょっと珍しいかもしれないが、歴代の当主のおかげで、33回忌でフィニッシュせずに、50年置きの遠忌で先祖の法要も重要視するし、神社にも好き好んで行くしということで、伝統主義者と言える。
時代の波の中で、変わるべきものは変わり、変えるべきものを変えるということも必要と認めるが、人間は歴史の連続性の上に位置するので、古くから続き、あるいは先祖より伝わる伝統的なものに僕は価値を見出す。

 

だから、僕が女にばかり厳しくなる一神教の弊害などを知覚していても、カトリックでもイスラムでも世界宗教として伝統的に存在してきたわけで、そこには敬意を払う。

 

ただ、一神教は、「セックスはいけませんが、レイプされてできた子も等しく神の子であるから避妊も堕胎もいけません」というように、人間の自然の摂理や感情を否定しながら、偽善に走るので僕は批判的にならなくてはならないことも多い。
どうして「セックスは最高だしよろしいですが、女性を傷めないように男は馬鹿だから気をつけましょうね」と考えられないのかな。とか、生まれや趣向は選べないのに、ホモセクシャルは人ではないなどとどうして言えるのかなど、日本の伝統主義者としては、考えられないような教義が一神教には多すぎる。

 

フランスではこういうことに対する反発が主として、無神論者が溢れ、彼らは「神はいない。カトリックなんて偽善だし、馬鹿じゃねえの」と散々ぱら公然と馬鹿にするが、僕には、偽善であることは認めても、カトリックの人たちが御先祖様から家がしてきたように伝統的に生きたい、とする気持ちを無下にすることはできない。
あるいは、性観念以外のモラルという意味では、敬虔なカトリック教徒のように、信仰心のある人の方が、慎ましく、道徳的で、品がいいということは体感として感じる。



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