今どき珍しカトリック美女と語らふフランスの今昔【1】 〜どうして現代白人フランス人なのに隠れキリシタンなのよ編〜

さて、しかし、カトリックが現代で馬鹿にされてしまう落ち度にも触れたい。

私は、一神教は、イスラムにせよカトリックにせよ、いつも女が処女でなくてはならず、DVされても離婚もできず、仮に未婚の母の子供に生まれたら、その子供は不義の子ということで白眼視されるという、女子供にばかり辛く、一方、昔からあるけれどもセックスはいけませんと言いながら、司祭が信者の女を手篭めにしたり、フェミニストの講義に出て知ったが、女を男は滅茶滅茶やっても甘く許されるという男に大甘な本質を持つから好きにはなれない。性差別の源流であることは間違いない。

日本では明治初年の調査では列強の中でダントツに離婚率も高いし、江戸には武家でも農家でも、結婚せずに妾のみと家庭を築き、子供を持つ家庭が多かった。将軍家をしても正妻との間の子供など稀だし、吉宗公の御実母は幕府が公式に認めた、側室の百姓娘である。
畏くも明治・大正の両天皇陛下にあらせられても、側室の儲けの君である。日本人はどんな身分の家でも、未婚の男女関係にできた子供も家を継げ、白眼視はされないし、性のタブーがないから、処女を失っていても平気で、離婚しても平気で、女が再婚することも平気であったのである。
明治の西洋化の過程で、当時のキリスト教ガチガチの掟の国際社会の中で、不平等条約などの改正を急務とした大日本帝国は、それまでの日本という国に培われた性観念や家族のあり方などを、ヨーロッパに馬鹿にされないためにトップダウンで改革していき、本日の日本に至る。

性をタブーとする仏教伝来などもあったが、それ以前からある日本の風儀に染まり、神仏混淆になっちゃって、鶯谷は今はラブホ街だが、昔は谷中の寺町の坊さんたち向けの公然の遊郭街であったように、坊さん自体が女を買いに行ったり衆道したり、日本書紀などを見てもそうだが神代の時代から日本人の性をタブー視しない文化がある。明治より前は、祭りがフリーセックスであったり、近年まで夜這いがあり、間男がいて男を誑かす悪女がいて、結婚形態以外の男女、あるいは同性愛の形があり、妾腹がそこらにいてという伝統日本。神代の時代からの日本人の神道と共に形作られた観念が日本のありとあらゆる文化のベースにあることは間違いない。
日本というのは、本来は性差別に程遠い国なのである。

言葉を考える。ヨーロッパでは最上の悪口、侮辱は女を侮辱する言葉である。
フランス語ではPutain、英語ではBitch。これは「売春婦め!」ということである。
日本語ではここまでの侮辱の意味はないが、「この野郎!」である。
ご存知、野郎とは、男娼である。

という話なんかも、その麗しの美女と語らひて、彼女はただいま神道に興味をもった。
お互い、無神論者ではないだけに、一神教徒の彼女、神道と家の仏教のミックスの私という違いはあれど、心が通じるところがある。

この世には、摩訶不思議なことや、神様や御先祖様の御蔭としか思えないことがおこるよね。と互いに納得したものである。

気高い女性であるから、ちょっかいを出そうなどという気にはとてもなれない。
しかし、こんなに美しいのに処女だなんて人生損してるよ。勿体ねーなと思わずにはいられない初秋の宵であった。

西風吹かば匂いおこせよ栗の花おのこなしとて春な忘れそ

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今どき珍しカトリック美女と語らふフランスの今昔【1】 〜どうして現代白人フランス人なのに隠れキリシタンなのよ編〜 への2件のフィードバック

  1. 佐藤辰嗣 のコメント:

    フランスでカトリックの方が肩身の狭い思いをしてるとは!知りませんでした、、、
    かつてカペー朝のルイ9世は「聖王ルイ」と呼ばれるほど敬虔なカトリックだったとか。
    わからないものですね。

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