今どき珍しカトリック美女と語らふフランスの今昔【3】 〜無神論と宗教みたいなベジタリアン旋風の中で編〜

さて、アンチカトリックの無神論者がベジタリアンという戒律を得て、独善的になることもそうだが、白人の困ったところに、自分たちの価値観を絶対と定めて押し付けてくると言うことにある。これは一神教の弊害としか思えない。

 

あれだけ、磔刑だの火あぶりだの魔女狩りだのしてきたくせに、今のヨーロッパ人の左派系の人は死刑廃止論者で、あたかも白人が世界の人権の庇護者で一番人間愛に満ちた存在であるかのように、この価値観を他の国へ押し付けようとしていて、腑抜けた西洋礼賛の日本人も日本の歴史やこれに裏打ちされた価値観をも吟味せずに「ヨーロッパでは」と受け売りをする。

 

ヨーロッパでは死刑復活論者も多いし、警察もアメリカほどではないが犯人殺すのに。

 

必ずフランス人と死刑について議論になった時は、自分が進歩的と思っている時点で間抜けだが、相手が進歩的知識人気取りで死刑は廃止すべきで、人間の所業ではないなどとベジタリアンみたいなことを言ってきたら、必ず僕は、「フランスよりはるかに安全で治安も良い日本においては、歴史的文化的背景から、情状酌量の余地なき残忍な殺人は死刑になるべきと言う考えが根底にあり、大多数の日本人がこれを支持しており、「多様性」に鑑み日本に内政干渉するな。」と言っている。

 

彼らに対しては「多様性を阻害するな」と言えばぐうの音も出ない。

 

こういう議論になるといつも感じるのが、白人が無神論者でさえ、未だ一神教の独善的高慢から抜け出していないことである。

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