日本とフランス研究者への道 〜失踪・自殺天国の背景にあるもの〜

江戸時代の学者と武士に学ぶ専門馬鹿の恐怖

立場を確立された先生方で、生徒からも慕われ、話しても面白いし、僕も尊敬している先生方は左右問わず、多趣味であったり研究が様々なジャンルに渡ったりと、幅広い知見を持っている。

そして、きっと研究の世界でなくても生きていけるし、食っていける匂いのする人しかいない。

やはり歴史の研究から昔の人を見ても、人間はマルチでなくては生きる力に乏しいと感じさせられる。

かつて武士には文武の二道を修める必要があった。

こう考えると学問と剣道というようにざっくりと捉えがちであるが、武術を見ていても実に幅広い。

ある新陰流指南役の騎馬武者は、軍学・馬術・弓術・槍術・柔術・居合・剣術と様々を修めている。

確かに戦場で剣術しかできませんなどと言う武士は使えない。

軍学を心得ていないと戦術が練れない、馬に乗れなければ騎馬武者でいられない、戦場に出れば馬に乗って遠くから弓を射て、槍で突撃し、馬から降りる接近戦になって初めて打撃戦と揉み合いの殺し合いになるから、チャンバラよりも柔術が出来ないと騎馬武者として意味をなさない。居合で一撃で仕留められなかったら最弱になるというのでは何にもならない。

武士というとどうしても時代劇のような剣術のイメージが強いが、実はそんなことはない。

やはり専門馬鹿ほどならぬものはなく、人間はマルチに修練しなくてはならず、研究者も、自分の研究これしかできませんではなくて、酒でも音楽でも美術でもスポーツでも語学でもなんでもいいから様々の修練をして、とりわけ外部の人と関わって、いろいろな幅広い知識と体験と交遊をして、浮世から離れない地に足のついた学問ができることが肝要と最近感じさせられる。

そうすると僕の例だと、やりたいことも学問だけではないから、色々な出会いもあるし、必ず頑張っていれば誰かが見てくれているし、発信しているととてつもなく有難い方々との出会いがあるから、既存の学問の職業世界に固執しなくてはならないという恐怖心が消える。

さらに、最近思ったのは、日本型の真の学者には実は本業があることである。

近代日本においては、学者は大学教授というコースが出来上がったが、やはり江戸時代を考えてみると最高の答えが見つかる。

大学者本居宣長は何者かといえば、苗字をあとから先祖の本居に直して分家を興しただけで、伝説の映画監督小津安二郎や今でも日本橋に和紙屋を構える小津和紙で知られる伊勢商人の名門小津家の出で、本人は商人出身の医者である。他には、橘守部は庄屋、新井白石は浪人もしたが武士である。

ということは、実は本業があって、その傍らで一流の学問をするというのが日本の学問スタイルである。

しかし、現代社会においては、西洋化のなれの果てに発想が凝り固まっているから、学者は大学教師や研究機関の所属でないといけないとなっているし、そちらサイドからも異端の学者は本流とはみなされない。

だが、江戸を見直せば、研究職のポストがないなら、元々の日本の学者のスタイルに立ち返って、簡単なことではないが田舎へ帰って農業漁業を本業に学問を続けるとか、起業して社長学者になるとかいろいろな可能性がある。

研究職に固執する余り自殺するぐらいなら、仏教思想研究なり憲法学なり亡くなられたお二方の知性はみんな認めていた訳だから、何か他に本業を持つ江戸的学者で、この浮世にもう少し生き続けて欲しかったと思わずにはいられない。

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