フランスとコンプライアンス 〜教職と芸事と闇営業と…何もかも萎縮する時代〜

私の指導教授からも、コンプライアンスに関連して教師の立場は今や弱いし、生徒と何かが起こって、生徒から上へ通報されたり、授業以外の事柄でやり取りをして依怙贔屓の疑惑などが出たら大変だからと釘を刺され、教師生徒の関係が切れてからは構わないが、その関係のあるうちは、絶対にならぬ。ならぬことはならぬものです。と会津藩級の厳命を先日賜った次第である。我が家は会津藩士ではないのでストイックさに欠けるからこんな掟はきつい。否。ということは数年我慢すれば良いということで、私は卒業生が山のように増えていくことを楽しみにしている。

しかし、とりわけ国立パリ大学にあっては、江戸の武家の妾と婚姻について論文を出している私としては、女性解放運動家の日本代表として、一人でも多くの女性を運動とともに解放してさしあげる使命があるのだが、これを在学中の生徒が味わえないのは気の毒でならない。ちょっと待っててね。

このようにコンプライアンスの時代にあっては、大学にありては人により近づきたいとか、惚れたはれたなどという色恋に基づく人間性の発露を堪えなくてはならない。日本もフランスも職場恋愛が多いが、職場と同じで、大学の教室というのも、男と女の色目や色香が一番飛び交う世界であり、大学においてはこれを回避せねばならないわけである。

飛び交う砲弾を掻い潜り生き抜かねばならない恋の203高地であります。

僕も辛いからシラバスには個人的コンプライアンスとして「女子生徒ノ受講ハ禁制」の文言を打ちたいところであるが、そんなことしたら逆に性差別で殺されてしまう。男はつらい。

もちろん、コンプライアンスはなくてはならず、意味があって作られたわけで、アカハラセクハラというものがここフランスにおいてもいまだにたくさんあり、数年前付き合っていた女の博士課程の友人は、ニース大学の男性指導教授に「俺と寝なきゃ博士課程の進級許可にサインしない」と言われ、拒絶して退学する羽目になったように、権力を使って生徒と関係しようとするダサい男のせいで、俺たちまで迷惑を被るのであるが、平等に生徒を保護しなくてはならないから仕方がない。
ちなみにこのフランス史学者はこの件では処罰されず、気の毒に女学生の泣き寝入りになったが、その後経費流用で解雇され、しかしまた他大学に雇われたという。学問の世界は自浄作用に弱い。

ということで、ワインを熟成させるが如き数年の辛抱はより男と女に深みを与えると信じて教壇に立とう。麗しの生徒はDon’t stand so close to me for the moment until then you’ll be wrapped around my finger.

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