フランスとコンプライアンス 〜教職と芸事と闇営業と…何もかも萎縮する時代〜

とはいえ、正規化するといえ年間で数十回の活動実績などは極めて難しい。

僕がフォンテーヌブローという地方都市でライブをできないのは、ライブをするだけのキャパを持つバーやレストランがないからであって、オーナーたちも乗り気ではない。

パリとて、そう数があるわけではないライブハウスや演奏をさせてくれるバー・レストランをごまんといるミュージシャンが取り合うわけだからどれだけ演奏が上手くても毎日演奏というわけにはいかない。

勝ち組はホテルの専属契約を取ったり、何かで引っかかって芸能事務所所属の歌手として独り立ちする程度のものであるが、ジャズでは今時世界的スターにはなりにくいから、そんなには稼げないであろう。あとジャズの世界でも金持ちはユダヤ人プレーヤーでジャズ学校をやっていたり、やっぱりユダヤネットワークがあるのだと思われる。

そして、音楽で食べていけている人間も、決して金持ちなどではなく、それは音楽の個人レッスンなどをすることになるし、それでも音楽のみでギリギリの生活を成立させるのみであり、これができる人は立派である。

普通は、何か本業があって横で音楽をやる。このパターンがミュージシャンには多い。

しかし、それ故音楽の営業は当たり前のこととして全て闇になる。

日本でもフランスでも事務所からの仕事で大金を稼げる一部のスーパースター以外、事務所所属の薄給芸人かフリーランスにならざるを得ず、芸事の底辺は彼らの闇営業によってこそ支えられている。

そもそも芸能というもの自体陽の光のあたるものではなく、闇のものである。
江戸時代ならば将軍大名お抱えの武士身分の能楽師でない限り、全て闇である。辻や玄関先で一芸を披露し金をもらって歩く。それは、オーナーから微々たる出演料をもらい客からは帽子に小銭を入れてもらうジャズとなんら変わらない。この帽子で木戸銭をとるという所作は乞食となんら変わらず、私は歌が好きと言っても一番精神的に嫌な瞬間がこの時である。しかし、歌うたいは演奏者を頼み、彼らにお金を払う立場だから、これをしなければ下手をすれば自腹を切らなくてはならない。

このように、自分たちの芸に値段をつけてもらい、日銭を稼ぐ。職業に貴賎なしと言えども、事実として歴史的にはもともとピエロもサーカスもさすらいの楽団もジャズマンも陽のあたる高貴な職業にはあらず闇の賤業としての系譜を持つ。日本の芸能もそうであろう。芸に対しそれを評価し金をくれる客の素性などを気にしていたら芸では生きられない。僕のライブで帽子に金を入れてくれた人間にも犯罪者がいるかもしれない。

故に芸能史としての事実と芸能の本義をして芸人にコンプライアンスを求めるのは余りに酷だとは思う。

されど21世紀は、陽の入り後の闇で生きるアーティストや芸人も、陽のあたる教室で授業をする大学教師たちも、コンプライアンスを恐れ、萎縮して生きざるを得ない時代となった。

権威主義の人間がいたり、悪いことをして金を稼ぐ人間がいるから、大学でも芸能の世界でも全面的に善人までを縛り付けるコンプライアンスが必要になった事実がある。しかし、人間の本能とコンプライアンスというのはもとより相反する位置にあるために葛藤があり、これは貧乏芸人であれば生死に直結する苦悶であろうし、そうでなくともコンプライアンスの遵守を要求される当人たちにおいては苦痛である。

コンプライアンス社会。
僕のような自由人にとっては無限に苦痛である。
冗談も易々と言えない中にありて、百八つの煩悩はコンプライアンスとともに心の奥に沈殿して征く。

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