デンマーク人のために駅員になった私

ホール2にもう一度降りると、同じ列車を待つと思われる十数人が、掲示板の下に集まっていた。
若い男に、「最終列車でますかね?」と聞くと、
「わからないけど待つしかない。」と当たり前の返事。

ただ、同じ境遇の人間がある程度の人数いるということは、集団の安心感をもたらす。そして、薄い仲間意識が互いに芽生える。

フランスにおいては、国鉄の不手際により電車に乗れないような場合、一人で立ち向かうことは難しい。適当なことを言っていなされたり、騒げば小さな権力を振りかざして、鎮圧に向かってくる。
不利な状況に立たされた人間が道理を持つ形で団体として成立する複数いる場合のみ、自分たちの正当性を主張すれば、上に少しは聞き入れられる可能性がある。
だから、万万一終電に乗れない場合は、この待ちぼうけを喰らっている旅客たちで、駅員をとっ捕まえて代替手段の手配をさせることを勝ち取る、という想定ができるという仲間意識が生まれるのである。

幸いなことにアナウンスが入り、「ホームMから最終列車が出発する」と言われ、みんなでホームMへ上がり、列車に乗る。
しかし、このアナウンスは大都会パリでありながらフランス語のみ。
デンマーク人がもし家族単体で取り残されていたらケームオーバーであった。

乗車して10分ぐらいが過ぎ、列車が最高速度に乗った頃、我々の乗る最前列の車両の運転台の手前にいる怪しげな男に鉄道警察が5名ぐらいで捕り物を始める。
夜の列車には不審者が乗っていることが当たり前だから、終電には鉄道警察がいることが多い。
だったら先日の大げんかの時にこそいてくれろ。そう思うが、仕方がない。ここはフランス。

デンマーク人家族は、何だこれは?という表情をして僕に確認を求める。

「It’s normal. It’s France.」
僕は言い、みんなで笑う。

「デンマークではあり得ない。」
デンマーク人お父さんは、フランスの洗礼を端的に表すのであった。

デンマーク人一家はこの捕り物に興味津々で、停車駅の5分ぐらい前から運転台側のドアのところで野次馬になる。

フランス人もフランスの様々の不手際にうんざりする時、「C’est la France.」と言う。
特にフランス人に道を聞いたり情報を聞くのはリスクがあり、勝手なことを言ったり、デタラメなことを言う人間が多いから、結果として何が本当の情報かわからずに振り回されることが頻繁に起こる。道を聞いたら、「知りません。」と言ってくれたら良かったのに、自信満々にデタラメなところを案内されることもある。

全く訛りのないフランス語を話せる数少ない日本人でもある僕のお師匠さんが、タクシーで国立図書館(ミッテラン図書館)で僕と待ち合わせをされた時、全く違う場所に連れて行かれたことがあった。普通タクシーの運転手なら、国立図書館ぐらいそらんじていなくては勤まらないのに…このように普通起きないことが平気でフランスでは起こる。

これはフランス人に対しても同じで、フランス人にも外人にも平等に、このフランスの不条理や不都合の洗礼のしぶきが降りかかることは、常識である。

デンマーク人からしてもあり得ないことであるわけだから、極めてフランスというのは欧州でも特殊な国なのだろう。

しかし、このデンマーク人一家は行儀が良かった。
中学小学生ぐらいの息子三兄弟は、しっかり僕に挨拶をでき、電車でもおとなしく乗っていた。
母親も真夜中のてんやわんやで疲れ切った彼らへの配慮をひと時も忘れない。
電車の乗り方など、まさに日本人のようであった。
「本当に助かった。」
なんどもお父さんは僕に礼をした。

僕は高倉健に勝らずとも劣らない、ポッポヤの才能があることを確信した。
リヨン駅の駅長ぐらい健さんぐらい渋く明日にでも勤まる。

さて、彼らはデンマーク王国の臣民である。
僕には、立憲君主制の国の国民乃ち臣民は慎ましく行儀がいいという持論がある。

モロッコ・アルジェリア・チュニジアのマグレブ三ヶ国をしても、王国はモロッコのみだが、一般的に行儀が悪いとみなされ、荒っぽさ、男権主義をして嫌われるアラブ人をしても、モロッコ人は断然品がいいし優しいし、僕は大好きである。

君主制をとる国と、共和制などの非君主制国家の国民性は絶対に違う、と僕は改めて確信するのであった。

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