夜闇のパリ・SFな東京

パリの夜は暗い。

大都会パリでさえ、夜闇を有するのだから、その他のフランスは尚一層に暗い。

パリでも地方でもフランスの街々を夜に歩けば、図らずも夜は暗いのだと思うということは、いかに東京が闇無き明るい夜の街なのかということに気づかされる。

これは、夜に飛行機に乗ればわかる話で、眼下の東京は、自分で輝いているにも関わらず、ライトアップされているかのように煌々と光っている。
そして、電気の光が照り輝くものを夜景というなら、まさに夜景である。
パリの夜空からは、目を細めなくてはどの程度地上から離れているのかがわからないほどに暗い。

パリの路地には街灯は極めてまばらで、大通りでさえも長大な間隔で並んでいる。
その街灯は薄オレンジのぼやけた弱い光を放つにとどまり、闇を邪魔することはない。

パリにだって地方都市にだって商店の看板は確かに電気で光るものもあるが、これは自己主張の強いネオンライトというものではなく、申し訳程度に光っている位である。

ただ、少しばかり、僕も東京で夜闇を感じたことがある。

2011年の春からしばらくの間、生まれて初めて東京の本来の夜を感じた。
福島第一原発で事故が起き、電力供給の制限があった。
落雷などによる停電は何度か経験してはいたものの、灯火管制の戦時中に生きていた訳でもあるまいし、電力という極々当たり前にあるものが計画停電でストップするという非日常が不便でもあり新鮮でもあった。

それこそ子供の頃は、当然のこととして電力が豊富で、東京電力のマスコットであったでんこちゃんが「電気を大切にね」と節電を促していたが、その大切さがピンとこないために聞き流していた。

しかし自分も人様も会社も全ての東京中の存在が震災のために節電を余儀なくせられ、昼の電車の不要な車内照明もなくなれば、夜のネオンもすっかり落とされた。

あの時に、灯りのない薄暗い銀座を歩いた不思議な感動は今でも覚えている。

ピカピカと明るい東京の夜は近未来的で独特の面白さがあるが、これが365日全日続くということには粋を感じない。
夜が暗いという地球の自然を日本の都会人が満喫できるように、一年の半分ぐらいは街のネオンを落とすというのもまた風雅かなとも思う。特に夏は暗ければ涼やかであろう。

しかし、このフランス人ブロガーのように、ネオンに照り輝く不夜城としての東京の側面を礼賛するような人間もいるから、人間というのはやはり無い物ねだりである。

そして、フランス人が東京を形容する時、SFのような街だと言うことが多い。

僕は東京生まれだから、それが当たり前で育ってきたためにSFだなどとは思わないし、逆にパリの夜闇に落ち着くこともある。

歴史を考えれば、提灯や行燈や蝋燭であった日本であるが、明治6年にガス灯が銀座に灯り、明治25年には電灯が一万灯もついたと喜んでいた東京が、今やパリよりピカピカでSFのようと言われるなんて何とも笑ってしまう話である。

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