海外の日本人ぺてん師 -パリ千家家元千パリ休-

海外にいる日本人で、書道家とか茶道家を見たら要注意。 ぺてん師である可能性がある。
小さいギャラリーなど、いたるところで、訳のわからない日本関連の展示会があるから、冷やかして見ると面白い。
とてつもなく下手な字を掛け軸に書きつけて、たいそうな値段で売っていたりする。
茶道をちょっと舐めた程度の経験しかないような人間が、いかにも茶人であるという顔をして茶道教室を開いていたりする。

 

 

さて、名もない職人が作った日常の雑器が、人々の日常生活の中で用いられるというその素朴に美を見出し、これを「用の美」と名付け、民藝運動を興した哲学者の柳宗悦がある。
名もなき職人の器や織物などは、高級品ではなく、見せびらかすためのものでもない。
しかし、その手仕事の中に込められた丹精から発される慎ましい美しさは、わかる人には確実にわかる。 そして、フランス人は特に、これを理解する人が多い。

 

 

柳宗悦は、津藩藤堂家の家臣の家に生まれ、母方の叔父に、近代柔道の創始者嘉納治五郎をもち、妻は近衞秀麿や山田耕筰の時代に、日本の声楽をリードしたアルト歌手兼子であり、長男は亡くなった今もなお、家庭のキッチンデザインで光を放つ柳宗理と、柳一家は日本の近代の芸術を見る上でのキーである。

 

 

この柳宗悦の教えを直接受けたある方とパリを散策した時、工芸品は、「頭で考えるのではなく、手にとって、触って、感じることだ。」、とご教示頂いた。
民藝を学者が語る時、作り手の所にもいかず、自分で品物を味わいもせずに、柳の本を読んだだけで、民藝を語るようなことが多いという。
美術について感じようともせず、あれこれ聞いた僕の態度を叱責されてのこの言葉であり、はっとしたものである。

 
あるいは、私は「違いがわかる」人間になりなさいと、常々ある方から薫陶を受けているが、これも根っこにある価値観は同じことと考えている。自分も実践できているかは自信がないし、難しいことではある。 しかし、手や口や、鼻や、目や耳から、体全体を使って芸術に触れ、感性を磨き続けていくことで初めて、 芸術という奥深さの妙味を味わえるようになる。そして、その訓練は日常の営みの中で、毎日することができる。 街を歩きあちこちを眺める。それだけでもいい。自分が思う趣味の良い店、あるいは趣味の悪い店に入るだけでもいい。紙コップでコーヒーや酒を飲むのと、器で飲むことの違いを感じるだけでも良い。 使い捨てのライターと、マッチやジッポーで点けたタバコの旨味の違いに気付くだけでも良い そこには、厚かましいうんちくや、理屈はいらない。

カテゴリー: フランスと日本人 パーマリンク

コメントを残す