知人の彼氏が殴られた最終列車一本前

今日僕は最終列車の一本前に乗っていた。
2019年7月1日23:46発のパリリヨン駅発モンタルジ行き。
またしても架線工事のせいで、いつも通り途中駅のムーランからフォンテーヌブローへのバス振替輸送である。

振替輸送は二倍家路に時間がかかる故、うんざりしながら電車に乗る。

とはいえ今宵はジムに行った後に友人と飲んだから気分は悪くない。
僕は、最後尾の車両の車掌室の前に乗るが、そこは二階建て列車が運転台の寸前で一階建てになる部分である。

列車がパリを出て15分ぐらいして、長い二階建て列車の同じ車両の一階から喧嘩の声がした。
僕はそこを眺める。

黒人たちが一生懸命アラブ人の男を止めに入る先に叫んでいる女が見えた。
この女はフォンテーヌブローの行きつけのバーの知り合いのAである。

僕は荷物を席におき、貴重品といえる携帯だけをポケットにしまい、止めに入る。

まずは殴りかかっていきりたつアラブ人の男を黒人たちとともになだめ、「大丈夫か?逮捕されるの面倒だから、やめようよ。」と肩を摩る。オレンジ色のポロシャツを着たアラブ人は肩で息をしている。

Aと彼氏らしき男は興奮していたが、僕がAに声をかけたら、援軍が来たと思ったのか「Yuta」と驚いてみせた。

Aが叫ぶ先にいたアラブの男は、怒りを増し、まだまだその男に攻撃するポーズをやめない。

攻撃された男は眉間と耳たぶの付け根から引っ掻かれた血を出していた。

いきりたつ言葉の応酬がAとアラブ男と被害者に繰り返され、みんなで二人を止める。

列車の床にはポテトが散らばり、油でぬめぬめしている。
落ちた箱から、持ち帰りのケバブであることが想像できた。

Aのそばに行き、斜め前に座る男の血を、僕は手ぬぐいを出して拭いながら自己紹介をした。

「Yuta。フォンテーヌブロー在住の日本人だ。」
「あ〜。お前が。」彼は答える。

Aは、ケバブを車内で食べ出した彼氏に、アラブ人のその男が殴りかかったと言う。
Aは彼氏の仇とばかりに「Bienvenue en France !(フランスへようこそ!)」 とアラブ人に叫んだ。

その言葉の意味を僕なりに解釈するに、「どこでも食事をする自由のある自由の国フランスの自由の権利をアラブ人の貴様が害した」と言っているのである。

僕は最初のシーンを見ていないから知らないが、それにしても、彼女の言い分は、自由を重んじるフランスの列車内で、ケバブを食べていた白人が、アラブ人に意味もなく攻撃されたと言いたいらしい。

それから、振替輸送のバスに乗る次の駅まで15分、黒人たちがみんなして喧嘩が再発しないように間に入りながら次の駅に着いた。

電車の非常停止ボタンは喧嘩が起きてからすぐに押され、アラームが車内に鳴り響いたのに、車掌たちは一向に来ない。
だいたい午後の空いた時間にあるキセル防止の車内改札の時は、国鉄職員こそが世界の道徳者であるかのような顔をして偉そうに車掌室から大勢の人数で大挙して来るくせに、なんで重要な時に無視するのかわからない。

Aの彼氏の身なりはお世辞にも綺麗とは言えない。ヒョロヒョロの白人男が、趣味の悪いデザイン入りのシャツを着ている。
そこで、フォンテーヌブローに住みながら、彼女と彼氏が真のブルジョワや貴族ではないという素性が浮かんだ。まあ、そもそも話し方でわかるが。

蓋し上品な人間は長距離列車以外の列車内で飯を食うなどという発想はなかろう。そして日本でいえば、マクドナルド、ケンタッキー、セブンイレブン、ファミリーマートの匂いは、バカでも嗅ぎ分けられるぐらい強い匂いであるように、ケバブはそういう類の匂いである。新幹線でもあるまいに、人々が疲れ切った郊外行きの月曜深夜の車内でケバブを食べるということは、その例の匂いを充満させるし、人を激怒させてもおかしくない。
私が日本に帰って、万万一くさややドリアンを黄色い総武線の車内で食べだしたら、誰かにぶん殴られるであろう。

そういうことに配慮もできずに、車内でケバブを食べるというのはお里が知れる。

また逆に、白人の彼女がアラブ人に発した「フランスへようこそ!」の言葉は、その殴りかかったアラブ人の男がフランス生まれであろうとて、移民のくせして自由を尊重できずにと内心思っているという高慢かつ傲慢を孕んでいる。

嗚呼、難儀なフランス。

白人とて移民とて品もなく、すぐにトラブルが起き、人々はそういう社会にこそ疲れ切る。
そういう時に、人種や民族のアイデンティティや高慢やルサンチマンの様々が浮かび上がる。

自由自由と言いながら、なんでもありと人々は勘違いをし、モラルを尊重することがなんたるかが忘れられていく。

ギロチン台の露と消えたルイ16世と王妃マリーアントワネット。
この21世紀初頭のフランスをいかに思し召さるるや…

僕がフランスを嫌うのはひとえに品のなさと不潔さ、建前と本音の相克、あるいはタブーの息苦しさにある。
ドラえもんがもしもいるなら、確認のため、僕を王政時代のフランスに連れて行っておくれ。

最下部の写真が、いまさっき家に帰ってきて撮った血付きの手ぬぐいの写真である。
まあ、大ごとでなくてよかった。

世界には餓死する人間がいるというのに、脂ぎったポテトと脂ぎった粗悪な肉とケチャップにまみれた高カロリーのケバブが存在し、それが今宵列車の床に溢れた。そのケバブは500円ぐらいで買えるフランスで一番安価な食べ物であり、それを作るのはアラブ移民である。
それを買って車内で食べた白人の男をぶん殴ったのは、ガタイのいいアラブ移民であった。

フォンテーヌブロー行きの振替バスにはAと彼氏の姿は見えなかった。
もしかすると警察に連行されたのかもしれない。

フランスは本来は美味かもしれないが、膿んでしまって食べ時を逸したイチジクのようである。そんなふうに社会が膿んでいる。

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