フランスで外人として生きる。その差別と区別の境。(後)〜研ぎ澄まされるアイデンティティ〜

国際ファミリーと混血

女の方がビザを取るなり金が欲しいというしたたかな場合もあるが、同時に多くの女は男のように伝統や歴史などというやかましいことを考えないもののようであるし、日本人は普通宗教的戒律などがないから玉虫色で、日本人女性はより一層どの民族にも嫁ぐことが可能であるだけに、いとも簡単に国籍や民族の障壁を飛び越えていく。

男は、私のような頑固親爺の場合はまさかでただでさえ一族の男が絶滅危惧種になった家の分家の跡取りだから、先祖とか家督相続とか墓守を考えたりするし、現実問題として、国際家庭を築いて子供が幾人かいれば、たまの帰省に航空券などで百万単位の出費になり、こういうことを考えても、考えれば考えるほどグローバルワイドな国際結婚からは遠ざからざるを得ない。
次男次女カップルの親は、お前の好きな人がいれば変な日本人より素晴らしい外人とか何とか言って、誰でも許可するという訳だから、ものの考えとしては娘しかいない伯父と一部性格を似せる自分をして、日本の伝統家庭の長男的性なのかもしれない。

ということで、探すと普通いないものだが、そろそろ日本人女性をと思って方々に言っているのだが、この見てくれだからこちらの日本人女性の友人たちからは夢の島最終処分場扱いになっていて、俺に釣り合うと思って、写真においてちょっと待ってくれよと言いたくなる紹介しかなく、性欲を喚起する女性で何卒平にお願いしますと哀願しているように、西洋社会で日本人女性と出会うのは難儀である。

さて、日本学の世界に自分がいるために、移民の生徒や、フランスと何らかの人種の混血の生徒と深く話すし、半分半分という意味で彼ら自身好き好んで「ハーフ」と称するけれども、こちらの日仏ハーフの生徒さんからのアイデンティティの悩みを聞くことが多い。

すると、移民や混血児は、フランスの現地の学校で、「お前はフランス人じゃない。」とか「お前は外人。」と何の気なしに言われた経験が胸の裡に突き刺さっていることが多く、移民としての民族的アイデンティティを先鋭化させていく移民の人々や、混じりて尚どっちつかずという移民とは違った複雑なアイデンティティを持つ混血の人々に学ぶことは多い。

移民社会には移民の種類の数だけお袋の味があるから、アラブ人の生徒さんが私がアラブ料理好きなことを知って喜び、「うちのお母さんのクスクス食べに来てください」と言ってくれたから、ヨネスケ的に行きたいなと思っている。

このように移民の場合、移民の文化を食も含めて死守し先鋭化するのに対し、混血はどうかと言えば、移民社会の為に混血が多いフランスにありて声高に「混血である事は素晴らしい。」とか「混血であることで、人間的に美しくもなれば、つよくなる。」というグリコ的理論武装をしたり、行き着くと「混血でない事はよくない。」「異民族の血が混じり合わない人間はダメだ。」という方向へ純血を否定する形で強気になる人もいて、フランスでは「純血フランス白人はけしからん!」と言う言説をよく耳にする。あるいは混血児へのいじめなどに負けて内気になってしまう人もいる。

しかし、混血・純血のどっちが良い悪いではない。

私は外人純血日本人としてフランスにいると、移民の親御さんや、国際家庭を築いてハーフのお子さんを持たれる親御さんは、こうしたことに絶えず向き合い子供に寄り添っておられると拝察するし、私はとてもじゃないけど、親になることがあるとしてこのような寛大でいい父親になれるのかと、時々空恐ろしくなることがある。

一方、玉虫色で融和性の高い日本民族の場合には、ハーフや混血の日本人という存在が、そうしたアイデンティティの相克を乗り越えた時、変な意味での宗教的反動もなければ、まさか宗教テロリストなど生まれようがないから、人種や宗教の対立とは別の軸から、日本思想やもとより多様性に富んだ日本文化や世界における日本の国柄の面白さを際立ててくれるのではないかということを思わされる。

時として、人種のメルティングポットと化したフランスで、ひいお爺さんがブラジルの日系移民だとか、一瞥して日本人の血を引くとは判らないもののおばあさんが日本人なんです、などという人に会うことがあるが、得てして彼らは日本語なんぞを話せもしないのに無条件に日本が好きである。やはり先祖を否定する事は自己を否定することになり不可能だから、日本人としての意識はなくとも、代を経て薄まりても尚、自分の血肉の一部を構成する日本を愛し続け、日本サポーターの外人のようになる。親日よりもラジカルな、愛日ともいうべき存在である。伊達政宗の家臣支倉常長の使節の子孫と言われるハポン(日本)姓を名乗るスペイン人たちが見た目は白人なのに日本人の子孫として自分たちを誇っているのと同じである。

こういう方々は、日本を普通の親日の人間より、より知っているし、外国から日本がどう見えるのかという眼差しをも同時に備えているわけでもあり、世界における日本を考え、日本理解を世界に促進するためにも貴重な存在だと感じる。

私なんぞは、日本混血の人々と会った時に、混じればより難儀は多いし、特に子供たちからすれば混じらない方がアイデンティティ的には一つに収斂できて楽なんだろうけれども、そういう人たちにしかない人間的な面白さを感じる。

この移民社会と化した21世紀のフランスに長く身を置く感想として、無論移民の共同体が強固強靭に閉鎖性を強めるが如く民族はもとより閉鎖的であると理解するし、私のように外国に住めば住むほど、あるいは移民は世代を経れば経るほど、誰しもが自己の民族的アイデンティティを先鋭化させる理を身を以て知る。

そして、各人種民族の宗教や文化的伝統が邪魔をして、全人間が完全に混じり合い、人類誕生期以来改めて目に見える形で混血化することは不可能だと悟る。

しかし、日本にありては、主として日本人女性の飛び越える力により生まれた混血の人々と純日本人によるいいとこ取りの折衷をしながら、本来なら極めて先進的な日本の伝統を生かして世界一の国柄になってほしいと願う。

とフランスに外人として住む伝統江戸主義の因循な私は思うのである。

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