黄色いベスト運動(1)〜どうしてこんなことになったのか〜

3.どうしてこんなにインパクトが大きい暴動になったか?

今、土曜日に郊外や遠方へ行く列車に乗り降りするときは、必ずパリのホームで警察の検閲を受ける。つまり、警察は、フランス全土からシャンゼリゼに駆けつけてくる田舎者に警戒しているということである。

このように、職工左翼の、さらにデモに参加する過激派のメインは地方から駆けつけてきた人たちであり、沖縄の反基地運動が、日本の左翼のメッカとして、そこ目掛けて左翼が押し寄せるように、フランス中のあばれ者たちが、パリのシャンゼリゼに結集したのである。

では、なぜ、シャンゼリゼなのかということである。

僕が歴史を研究するにあたり、死してのち影響を与える井上勲先生は、僕たちに桜田門外の変を例にこうおっしゃられた。

「歴史事象が何故にこの日、この場所なのか考えなくてはならない。」と。

つまり、井伊大老が暗殺されたのが偶然に安政7年3月3日なのではない。水戸と薩摩の浪士たちは、武家の行事である上巳の節句、すなわち、ひな祭りの儀式のため、井伊家の上屋敷から、江戸城へ向けて、確実に桜田門を通過して井伊家の大名行列が入ってくることを知った上で、そこを狙い撃ったのである。だから、3月2日でも4日でもないのは、偶然ではなく必然である。

この手法で歴史事象としての黄色いベスト運動を考える。

まず、場所がシャンゼリゼであるには、理由がある。

シャンゼリゼとはブルジョワジーや富や経済の象徴である。そばには大統領府もある。だから、権力に近い土地柄でもある。

資本主義を嫌い、金持ちを憎み、権力を目の敵にするなれば、示威活動や破壊活動に、下町を狙うはずはない。資本主義の象徴、一番物価と地価が高い大統領府の近所、ここで一発やってやろうということである。

日本でこういう連中が何かするなら、やはりレピュブリック広場的上野広小路ではなく、日曜12時銀座鳩居堂前ホコ天集合!みたいな感じで、銀座を狙い撃ちするであろう。

日本中から例の人たちが、ゼッケンとヘルメットを被って赤い旗をなびかせて、石や棒を持って来たらどうなるかということを仮定すると、今回の黄色いベスト運動がなんとなくイメージできるのではないだろうか。

そして、なぜに、今回のデモが企図され、フランス国民全体で見れば、少数派の過激派職工たちが、アジテーションにより、大統領に政策を撤回させる一応の勝利を見たのか、ということにも理由がある。

 

今日が21世紀を20年ほど経過した、SNSとスマートフォンの時代であることがその理由である。もし、これが10年前のガラケーでスマホアプリのない時代なら、起こりえない人の動員形態である。

今や、フランスでは薄給の職工でさえ、iPhoneではないが、しかし、中国製かよくてせいぜいサムスンのスマホを持つという時代であるから、思想を同じくする見ず知らずの職工たちが、ジャズセッションのように日時場所を指定して組織化することに成功したのだ。

また、参加者は、職工というだけではない。移民の問題や、失業など、ありとあらゆる社会の不満分子で血気盛んなのが参加するから、フランス社会において黄色いベストたちは少数派といえども、これだけの大規模な動員となった。

また、各都市でも、パリまで登れない黄色いベストたちが、デモを起こしている。

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