黄色いベスト運動(1)〜どうしてこんなことになったのか〜

6.黄色いベストたちが実際にしていること

中村江里子さんのブログにこの黄色いベスト運動のことが書かれている。

デモ現場の近所の人としての目線から、適切に描かれている。

中村さんのブログは、さすがはアナウンサーだけあって、一歩引いた適切な距離感でフランスを日常から分析していらっしゃる。フランスを不必要に持ち上げたりもしない。よくある自慢でもない。そして、日本人がいかにも好みそうな、お洒落なおフランス像を捏造する、いかにもなマユツバものでもない。現代のアッパークラスに嫁がれた、妻や母としてパリで暮らされる中での視点が、嫌味もなく自然に描かれている。

デモに関しては、黄色いベストたちが、中村さんのアパルトマンの近くで放火したり、向かいのアパートに不法侵入したり、とんでもない様子が実況中継されている。貧乏な僕がなんとか住めるフォンテーヌブローも、ヴェルサイユと同じで、パリ近郊でゆっくり暮らしたいブルジョワな街として名高い。

しかし、近郊都市より地価・物価高のパリに残るとして、家族があるなら、本当に本当の金持ちしか住めないエリアが中村さんのご自宅のあたりである。いわゆる、パリと言われてイメージする、あの美しいサイドのパリである。ブログの通り、中村さんのエリアは、いろいろと破壊されてしまった。

現代においては、ようやく、編集なしでミクロな視点で、本当の情報を発信する人が出てきた。これらは既存のメディアと違って、包み隠さない臨場の情報を流す。Youtubeやブログというものが、誰でも、発信したいことを、やりたいように発信できるという新形態として定着する事で、メディア且つ歴史史料として新しいあり方をもたらす。

タブーを破ったり、既存のしがらみの中で報じることができない本物を発信できる。

面識もないが、あるYoutuberが、デモの翌日を撮っており、これをみたらデモ隊が何をしたか臨場的にわかるはずだ。

しかし、デモ隊も、ブルジョワを目の敵にしているからと言って、略奪して、破壊していいということにはならない。あとは、彼らが残した落書きの言葉も、品がない。

フランス人たちの下層民たちの精神性で、すごく残念なのが、なんでもかんでもブルジョワや貴族を妬み、目の敵にすることである。

日本と違って、「世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮世の馬鹿は起きて働く」という諦観や、「宵越しの銭は持たぬ」といった浮世思想みたいなものがないから、山谷のおっちゃんたちが、昼間っからカップ酒を飲んで、金が入ればすぐに飲む打つ買うで金を散財してしまうような精神性もない。

かつて、浅草の裏に潜り、汚いところで、飲んでみたことがある。銀座線の起点と終点にありながら、銀座と浅草は真逆に位置し、浅草は浅草寺を越えていくところに、社会の様々な面を見せる。日本の江戸時代をやる人間として、浅草界隈は知っておかなくてはいけない地域でもある。

僕は貧乏でも銀座新橋で飲むのが個人的には好きだが、浅草も時にはいいと思う。確かに、浅草の奥の裏の人々は、身なりも話す言葉も汚いし、品などあったものではない。路地を歩けば、「にいちゃんにいちゃん、飲んでけ」と四方八方から声が掛かる。

僕は敬語で見知らぬ人と話すが、客人や相席の面々に対して敬語を話す店や客はない。僕が偉いとか、彼らが偉くないとか、彼らが偉くて、僕が悪いということではなく、仕方がないけれども生まれ育った文化が違うから、あの人達の文化の所作言動ができない。

いきなり近い距離感で、「にいちゃん元気」とか「おっさん調子どう?」などという言葉は僕の所作の中に入っていないから、やろうとも思わないし、やれない。酒焼けの声、汚い身なり。会話の内容。口調。臭いのきついタバコ。安酒に安い枝豆。全てが下流である。

しかし、そういう人から学べることもある。選べない生まれという平等性の中で、生まれがたまたま違うから、お互いに違う世界の人間であるというだけで、酒を介せば、わからぬ訳でもない。

あの人たちには、この先も変わらないであろう社会の下層に生きる人生に対する諦めの中に、それでもそこを楽しむ姿勢のようなものがある。あの人たちは悲哀もあろうが、もう何かを諦め、その中で頑張っている。僕が勝手に判断したらまずいが、あの手のジジイたちには、希望などはおそらくないし、政治への興味もなく、ただ、飲む打つ買うを楽しみにその日暮らし。

逆にフランスの下層民はといえば、上を恨み続け、何かの機を狙って、暴動に走るか、窃盗をするかしかない。
これでは、彼らの存在自体認められないものになってしまう。

今回に関しては、黄色いベストや過激派は、明らかにお金があり、いいところに暮らしている中村さんたちのような存在自体を疎ましく思っているから、機に乗じてそういう人たちのエリアを憂さ晴らしでめちゃくちゃにした。こういう精神と行動は賤しいことこの上ない。

それでいて、それに対する正当性として彼らが言うのは、フランス革命では民衆が暴動を起こし、こうやって国家を転覆させたとか言い出すのである。だとすれば、警察に発砲されるという覚悟のもと、大統領の首を刈りに行けばいいのに、そこまでの大義名分もなければ、勇気もない。

ここぞとばかりに、抵抗できないアッパークラスを痛めつけたり、シャンゼリゼ界隈の店で窃盗をするのは違う。

しかし、フランス革命というものが、今の下層民の暴力活動の正当性を付与してしまうのだから、歴史を長い目で見て、フランス革命が成功したことこそが、今のフランスが自滅していく原因となっているかもしれない。

現代フランスにおいては、残念ながら貴族のプレゼンスは低いから、「どこの馬の骨ともしれないエリート権力者階級VSすぐ暴動を起こす下層階級」というのがフランス社会の根底に流れている。そして、これは永遠の水と油で互いに嫌い合っている。
モラルや人品を担う貴族や騎士が、世を導く領域が欠如していることもあいまって、この国は極めて脆弱である。

たとえ、貧しくとも人としてやってはならぬことがある。自己の尊厳を守るために、どれだけ内実が苦しくとも、自分を落としてはならない限界がある。

武士は食わねど高楊枝、フランス人に分かるであろうか。

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