黄色いベスト運動(2)~EUのほころびの中で~

2.沈みゆくEU・フランスとこれからの日本

フランスの国家財政と景気は、瀕死の状態にある。そして、助かる見込みはない。

マクロンの増税策も失敗し、万策が尽き、政治の力をして経済を回復することはできない。

ヨーロッパというのは、その土地柄故に、経済が回らない宿命を帯びているが、今までは人間の愚かさからごまかしごまかし、好景気を実感できる一定の時代が訪れていた。

ヨーロッパ、とりわけフランスは、水害を除けば、天変地異がない。水などは放っておけば引けるから、街づくりを変えたり、インフラの改造を必要とし、仕事を生むだけの要因にはならない。

日本は、定期的に地震や津波や噴火など、住まいから道から田畑から、何もかもぶっ壊れて、人が死に、まっさらになるという宿命を帯びている。

ヨーロッパでは、とてつもなく昔の建築や構造物が残り、そこに今の人たちが暮らすように、物質や構造の伝統があるのに対し、精神や文化といった無形の伝統に乏しい。また、精神性として、今あるものを完全に壊して、新しくよりよく作り変えようという発想がない。

対して日本は、定期的に襲われる災害の復興のため常に景気が回るようになっている。

そして、より安全で便利な暮らしのために、そこそこの伝統を帯びるようになってきたものでさえ、いとも簡単に無に帰して、物質世界の改造を求める性格を持つ。

建て替え、整理、再改造、こんなにもリニューアル好きな人種もあるまい。

たとえて、魚河岸と言ったら、築地であるが、築地市場ももはや操業を終え、無になる。

とはいえ、築地市場とて昭和10年からだから、物質的伝統といってもそこまでのものではない。それに伴い、日本の胃袋たる築地を壊し、豊洲を作りという過程で、どれだけの経済効果があったかは計り知れない。

他方、日本は天変地異故に、三種の神器とか、よほどの神社仏閣などを除いては、物質の伝統がない。ゆえに、日本人は古来より、突然くる災害死や、残されたものの悲しさや、無に帰した構造物のはかなさに隣りあいながら、無常やもののあはれ、諦めという独特の精神性を持つ。そして、物質の伝統に代えて、盆彼岸には会ったこともない大昔の先祖に想いを馳せ、先祖の墓参りのために、お盆の帰省ラッシュという現象が起きるように、先祖に自分を投影し、来たる末裔に連綿と続いていくであろう伝統を感じる。

あるいは、茶道に代表されるように、昔から続く文化の伝統を重んじ保守しようとする。

みうらじゅんが現代日本では、どこかしこに、創業何年を現代的に表す、「Since」というものが多いことを発見し楽しんでいるが、フランスにも「Depuis」というのがあるにはあるが、よっぽど伝統と格式のあるブランドを除けばあまりない。このように日本人ほど創業年やSinceを意識し、いかに昔から続くかを商売でアピールしたがる人々もいない。

しかし、このSinceは何もお店の建物が当時のままというわけではなく、場所が移転していたり、場合によってはオーナー家が変わっていたりするので面白い。

こういう連綿性や伝統にことさらに価値を見いだすのは、無常観の裏返しだと感じる。

脱線したが、故に、天変地異をして、無常の中から仕事が否応なしに生まれるとか、無常ゆえにあるものをいともたやすく壊して作り変え、そこに仕事が生まれ経済が回るという構造が欧州・フランスにはない。

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