孤独とフランス人・孤独と日本人 (上) 勝手にアンサー編 〜山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』によせて〜

自分の近辺の人間に一人、超自由人な男がいる。何にも束縛されず、やりたいことをやり、TDNYPR(ただの酔っ払い)とのたまう。しかし、傍で、人知れず、社会のためになることも楽しくスマートに成し遂げる。話題も豊富だが、決して押し付けがましくない。ふーっと風のように現れ、風のように去って行く。失礼な言い方だが、年齢差は30ぐらいあっても、全くジジ臭くないこの男が、対等な目線で僕と交遊してくださり、色々学ばせていただいている。

 

そのTDNYPRの友達が作家の山内マリコさん。今年5月に、『選んだ孤独はよい孤独』という新刊を出された。話によると、この題名は、フランスの作家のフレーズにインスパイアされたという。先般パリで、TDNYPRと昼下がりからビールを飲んで、フランス人と孤独という面白いテーマを語りあった。そして、これについて勝手に日仏の孤独を考察し、勝手にアンサーすることを約束した。

 

『選んだ孤独はよい孤独』。現代に生きる我々だからこそ、是非読んでみていただきたい。万一つまらなければ、僕の責任で、TDNYPRに金借りて返金します、と宣言したくなるぐらい、小気味良い面白さがあり、そして、人生のあゆみや、現代における人のあり方を考えさせられる。
現代に生きる人間が、「だよね!」と共感したり、「こういうのあるわ」と批判的に冷めてみているポイントが、嫌味なく網羅されている。意図したか否かはしらないが、こういう批評を角が立たないようにするということは、相当難しいことで、そこに作家が作家たるテクニックを感じる。そこまでボリュームはないから、一日で読み終わるが、考えさせられるから、咀嚼するのに時間がかかる。スラスラ読めて、スラスラ読めない、不思議な一冊である。
それでは、いくつか、勝手にアンサーしてみたくなったことを勝手にアンサーする。

 

1.不本意ながらいつもつるむ男

ヨシオという、地元に残り、地元の友達といつもつるんでいる男がいる。ただし、ヨシオにとってこの友達たちは本当の友達ではない。地元に残った幼馴染のグループで、気の弱いヨシオは巻き込まれる形でつるんでいる。不本意なことは彼が一番わかっている。しかし、わかっていても抜け出る勇気がない。

 

そういう人は僕も下町のかつての幼馴染の中に見たことがある。
居心地が悪い中に、身を置き続けるということは、苦痛でしかない。一匹狼になることを恐れず、不本意な環境や人間関係というものに巻かれない強さを持った人間の方が、実りある人生になることは間違いないと思う。そして、一匹狼は、ひょんな事で、波長と価値観が同じ、とてつもなく気の合う人と出会い、融合する機会を得る。不本意に甘んじてはならないことを、再確認させられる。
そして、友情とはなんたるや。フランス人はしょっちゅう、Amitié Amitiéと言ってばかりいる。しかし、本来の友情とは、確認する必要のない感覚であるから、それを確認する時点において、もはや友達ではない。「俺たち友達だよな?」「私たち夫婦よね?」と確認作業を必要とする人間関係になったらそれは破綻していることの証左である。
フランス人を見ていると、「友達だよな」といいながら、大体は学生時代からのいつも同じメンバーとしかいない、人間関係の柔軟性に欠けた人が多い。人付き合いの新規開拓嫌いですか?と思わず問いたくなる。
これは、ひとえに、孤独より、集団でいることの安心感を優先しているからであろう。

 

僕はカウンターマニアであり、それゆえに赤提灯やバーを好む。一人でカウンターにいれば、新たな人たちと会話が始まり、孤独なようで孤独でない、面白い出会いが転がっている。日本人の方が一人で飲みに行く人間は多い気がする。あるいは、色々な趣味に興じるのもいい。たまには良いけれども、毎日同じ「友達」と、テーブル席に座っていては、交友は広がらない。万一その友達たちが、心からの友達でない場合、それは孤独から目をそらす時間になるかもしれないが、結局は、残念な時間のロスであろう。
オープンマインドで社交的なことは、割に孤高を選択しないとできないこと。
最近日本ではタモリ、加藤一二三、蛭子能収など、Going my wayで一人で勝手に邁進している人が改めて注目されている。これは、不本意なつるみに、みんな嫌気がさしているというシグナルなのかもしれない。



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