あゝフランス語 〜愛と無情の壁〜

令和元年6月4日の夜半。僕は地元のバーで飲んでいた。

センスとコクの薫るベルギーの生ビールはぬるい。

しかし、歴史を考えてみれば、もともとビールはぬるいものである。

冷蔵庫や電気以前からある飲み物は熱いかぬるいしかない。
冷酒にせよ、キンキンに冷えた生ビールにせよ、アイスコーヒーにせよ、そんなものは昔には存在しないものである。

現代の日本人ほど冷えたものが好きな人種もいないかも知れない。
日本の生ビールは世界一冷たい。ヨーロッパにはこんなに冷たいビールはない。アイスコーヒーも存在しない。

カウンターでぬるいビールを飲んでいるその側に、先月も出くわした英国紳士がいた。
葉巻のセットを持ち、赤ワインを嗜み半サイズのビールで締めたいかにも酒好きな体型をしているこのハゲの紳士は、航空業界のコンサルティングをしている初老の男である。

彼はフランス出張のたびにフォンテーヌブローに宿を取り、このバーに来る。

久しぶりに英語を話す。と言っても僕は英語をほとんど忘れたから、なめらかに滑らない机の引き出しを無理にこじ開けようとするように、話すのも一苦労である。

しかし、英国人の話す英国の英語は美しい。上品である。

「日本ではアメリカ型の英語だから、僕もイギリス英語をぺらぺらになりたいものだ。」とその男に言う。世界中を飛び回ってきた男は、「台湾人の英語の発音がなんとも独特であったが、日本人のアメリカンイングリッシュはまだましだ。」と返す。

英国人が話す英語は、階層や地域で違うと言われる。クイーンズイングリッシュを話す上流もいれば、庶民のそれはまた違う。体験をしてスコティッシュイングリッシュはもはや青森弁の如く、聴解不能である。

とはいえ、洗練された英語は耳に心地よい。上手な人とキャッチボールをしたり、上手なトレーナーとスキーを滑る時に、下手なこちら側も、自然と誘われてある程度うまくやれることがある。

それと同様、英国人の美しい英語のリズムと発音に乗せられて、こちらもぽっと言葉が付いてくる。

先日、メイ英国首相の辞職表明の演説を見た。

メイ首相はお世辞にも美人とは言えないが、服装のセンスの良さと、毅然としたエレガンスがなんとなく好きであった。保守だよなという匂いの薫る女性である。

この演説はあまりにも格好が良く、そして彼女の発するイギリス英語の美しさには惚れ惚れする。

 

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