使えない言語だってええじゃないか、愛さえあれば。

所用でトリエステの郵便局へ行った。
入るやいなや「Buongiorno !」の唱和。

「根暗な隣国じゃ郵便局でこの愛想の良さはありえない。」
郵便局もイタリアはイタリアである。

僕は日本へ発送するものがあり、つたないイタリア語で少々係員のスィニョーラと会話をした。
「書留がよろしいでしょうか?」
「いや、普通で結構です。」
という具合である。

「あなたは何でイタリア語を話すの?」
こうスィニョーラは僕に聞く。
「Perché adoro l’Italia. (イタリアが好きでたまらないから。)  」
こう返した。

これ以外に僕がイタリア語を学習する理由はない。

「あなた日本人ね。行ってみたいけれど、日本に行くのは我々イタリア人には高くて。」
こうスィニョーラは付け加えた。

トリエステの単身用アパートの相場は三万円ぐらいだそうだから、貧困国のイタリアの地方都市の人間の懐具合が垣間見える。

「トリエステには日本人いないですね。」
「一人ぐらいしかいないわ。」
「でも、どうしてイタリア語はイタリアでしか通用しないのに、そんな言語やるの?」
「日本語もね。イタリア語なら(旧植民地の)エチオピアで使えるんじゃ?」

こう会話が続いた。

今や、世界共通語は英語一色であり、これに挑んだエスペラントは風前の灯火、フランス語やスペイン語とて昔に植民地が多かったから話者が多いというだけの話で、国際的に通用するものではない。

英語一強時代は何も最近に始まったことではない。

若かりし蘭癖の福澤諭吉にとって脳内での世界共通語はオランダ語であり、猛勉強の末、軽く話して読めるようになっていたが、安政6年に横浜の外人居留地でオランダ語がまったく通用しないことに衝撃を受け、具合を悪くしたことが『福翁自伝』に書かれている。
永井荷風も『ふらんす物語』の中で、「フランス語を稽古するとは、よほどどうかしている。英語を知っていれば、日本へ帰っても、すぐ売れ口があるけれど、フランス語は使い道が少ない。」と書いており、幕末明治大正から既に英語でなくては使い道がなかった。

イタリア語なら、今時、声楽家でもない限り、学ぶ必要に迫られることもない。

しかし、必要に迫られないからやる価値なしと片付けては残念である。

いくら世界共通語が200年前から英語であるといっても、各国の人々は国内で自分たちの言語を話し、生活は地元の言葉で成り立っている。

そのため、その国やそこの人々へ馴染もうと思えば、どうしてもその国の言葉を解さなくてはならない。
そして、この現地の言葉を学習する努力を見せれば、現地民はこれを敬意と受け取って大方親切にしてくれる。
英語でゴリ押ししようとすれば、近年フランスでちらほら見られる、英語話したがり屋の若造は喜ぶだろうが、そうでない人は、「この外人は馴染む気なし」と判断し、最低限のコミュニケーションで終わるのが普通で、最悪取り合ってもくれない可能性がある。

あるいは、ジャーナリズムとて学問とて諜報活動とて、現地の言葉を解さなければどうにもならない。
日本が情報弱者なのは、外国語話者が英語に傾倒しているから、英語圏以外の情報が乏しすぎることにあるとも言える。

現地の言葉を話すことは、現地の人々と腹蔵無く心通わせられるという人対人のプラス。
現地社会にある程度馴染めるという対社会のプラスと礼節の表象。
現地の真実や本当を知るという情報のプラス。
こうしたかけがえのないものをもたらしてくれる。

最後に僕はこうスィニョーラに言った。
「僕はイタリア語がヨーロッパ言語で一番美しいと思っているから、勉強しなきゃ。」
「本当にありがとう。」
こうスィニョーラは返してくれた。

使える言語と言ったら、もはや英語しかない。
僕もイギリス英語は修めるつもりではいる。

ただ、「使えない言語」は、国際情報の収拾という日本のためにも必要でもあるし、僕のようにイタリアを愛しているなら、話せるに越したことはない。

日本は、初等中等教育から、まず国語と古文をしっかりと教育し、日本語の奥深さや山のような語彙を生徒たちに理解させ、その上で、そろそろジャパニーズイングリッシュでフィニッシュでは無く、本格的なイギリス英語を第一外国語に、加えてニッチな第二外国語の教育も十分に徹底すべきではなかろうか。
日本語は語彙多く、奥深い言語なだけに、日本人は外国語習得のポテンシャルは高いはずである。やり方や発想が悪いだけだ。
すると我々は一躍情報強者にもなれる筈だ。

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