フランスのお家芸としての階級闘争と日本 〜21世紀前半のフランス暴動の時代に〜

では、フラットに考えてみて、日本は、果たして日本オリジナルの階級闘争と言える歴史があるのであろうか。そして、フランス人のような階級闘争の思想を日本人は持っているのであろうか。

どう日本史を階級闘争に描こうとしたとて、できない。

日本が身分社会であった江戸時代。社会の権力側に位置した、公家や武家などの権力者側には金がなかった。これは西洋貴族と日本貴族の大きな差である。
島原の乱の時の領主松倉勝家のように、大名レベルでは暴君がいたけれども、これが幕府により打首になったように、武家という同一身分内で相互監視の効いた政治体制であった。
譜代大名で一番大きい彦根の井伊家とて、井伊大老が暗殺された後、即座に政治不行き届きで領地を削減され処罰されている。

もちろん人間の社会だから権力闘争もあるが、同じ身分内で互いを律し、時に処罰できるシステムは、今の政治家よりはるかに良い。

とりわけ江戸の武士たちは、時に政治的失敗が失脚や切腹につながるように、不満になればすぐに一揆を起こす民とのバランスを取りながら、責任を持って政治にあたったから、ヨーロッパのような階級闘争など起きなかったと考えられる。

フランスの本物の階級闘争は、数に勝る下の身分が暴力をして、上位の身分を屈服させて政治的意見を飲ませるか、転覆させて自分たちがそれに取って代わる相当苛烈なものである。

では、百姓一揆などが階級闘争であったかといえばこれも違う。

百姓は、領主の増税などに対し、撤回を要求して一揆を起こした。しかし、政策の撤回があれば、それ止まりで、上位身分の転覆を図ったり、政治体制を一新しようと革命を起こした事実はない。そして、武士を殺そうともしていない。

例えば、江戸時代に日本で階級闘争の意識があったとすれば、革命はフランスよりも容易であったかもしれない。

武士たちは堀や門で外と分離された、木造の屋敷で溢れかえる城下町に住んでいた。この政治体制に不満を持つのであれば、民衆は、武家が寝静まる真夜中に城下町に火を放ち、逃げ惑う武家を焼き殺しつつ、各門を制圧して固めておけば、抜け出そうとするものも虐殺できた。刀狩りされていたとて、農具も武器になるし、脇差などは庶民も持てたわけだから、無理な話ではない。しかし、こういう事例は一件もないはずである。

しょっちゅう大火があった江戸とて、大火に乗じて隙をついた民衆が江戸城に乱入して制圧したなどという話は聞かない。

また、もっと長い目で考えて、何故武家は、公家や天皇を抹殺しなかったのかということを考えれば、武家にも階級闘争の意識はない。朝廷に反旗を翻し、新皇などと称した平将門はどうかといっても、あれは桓武平氏で桓武天皇の男系子孫だから、武士といっても、今風に言って皇位継承権を持っているような人間である。

また、近代日本で死者も出て、今の黄色いベスト運動に一番似ているのは、明治38年の日比谷焼き討ち事件であるが、これも、日露戦争の戦後処理に不満を持つ人々の鬱憤でしかないから黄色いベスト運動のような階級闘争ではない。

あるいは、明治維新革命論を唱える人もいるが、民衆が暴力で幕府を倒した訳ではないので革命ではない。また、日本は、フランスのように暴力で革命をして、平民が平民による平民のための政治体制を作ったことなどない。

それは明治以降の日本国の権力の成り立ちを見れば明らかである。

まず、明治新政府は、ヨーロッパ型の国家づくりと帝国化のために、武家だけで軍事を担えなくなったから、華族士族平民という身分制度を新設しながら、四民平等という言葉の下に、国民皆兵を行なった。しかし、もとより平民による政治運営を企図していたわけではない。

明治の初めの総理大臣をみても、江戸時代に、武士でなかったものは、百姓の息子で下級武士より下に位置する足軽の伊藤博文。それより低く、足軽と百姓の間に位置する中間(ちゅうげん)の山縣有朋などがいたが、彼らは明治維新の功績で勲功華族になって新貴族の立場で政治を行なっている。

またサルコジのように平民宰相と言われ、一般人の人気を背負った原敬も、分家して戸籍が変わったから士族から平民へリニューアルされただけで、原家自体は、南部藩の上級武士である。

戸籍的に平民だから、これを当時のジャーナリズムが平民平民と一般人であるかのように囃し立てただけで、本人のアイデンティティの上では、彼は自分を全く平民とは意識していないことは原敬研究からも明らかである。

そのため、本当の本当に平民の総理大臣というのは、福岡の石材屋の息子広田弘毅が昭和11年に総理になるのを待たなくてはならない。

軍隊でもそうであろう。特攻隊を産み切腹した大西瀧治郎も農家の出であるが、このようにようやく昭和になって、薩長の武家閥がなんとなく下火になり、南部藩士の東條英機や長岡藩士の山本五十六に混じり、平民出身の上級将官も出てきた。

そう考えると、緩やかに平民が社会の指導的地位に参画してくるようになった日本と、階級闘争で平民が貴族を追っ払って一挙に平民政治を作り上げたヨーロッパの歴史は違う。

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