ノートルダム炎上 〜ノートルダム一件に見る、現代フランス人の社会と精神性〜

蓋し日本人は、天変地異とともに、形あるものは普通残り得ないという無常を知覚し、それに耐性のある民族である。対して、形あるものの喪失に耐性のないフランス人は、これに弱い。

とはいえ、フランス人は、破壊への耐性に弱いといっても、今回なくなったのが屋根だけということもあってか、そこまで悲嘆に暮れているわけでもないようである。

僕もノートルダムの上部がなくなったことは残念とは思うが、燃えたものは燃えたで仕方ないという、日本人的ニヒルを感じるし、僕はカトリックではないから宗教的思い入れはない。
そして、実は、こういう観光地化された教会より、知る人ぞ知る教会の方が建築的にも雰囲気の上でも好きだし、僕にとっては、1657年の明暦の大火で江戸城の天守閣がなくなったことの方が悲しい。

さて、日本では、海外の大きな事件に際しても、あまりに外国の情報を分析する能力に欠けるし、メディアに能力がないのか、表面の一部だけが切り取られて、全てであるかのように報じるから、日本人のほとんどが、対外情勢を勘違いする原因になっている。

パリはシンボリックな街で、この観光地としての大教会が燃えたことに対して、センセーショナルなコメントが溢れかえるのはいいとしても、天下の大手メディアからして、現地の実際を正しく発信できていないのは残念である。

テレビ朝日だけを批判しようというのではないが、この動画を見ていただきたい。

このニュースは「悲嘆にくれるパリ市民」という命題がついてあり、賛美歌を歌う人たちが「普通のフランス人」であるかのようにクローズアップされている。

しかし、通常政教分離を徹底する国であるフランスにおいて、公共の場、つまり表で賛美歌を歌う人に出会うことなどない。これは、ノートルダム炎上が、カトリックの人々にとっては、あまりにひどい出来事なので、行動に移しただけの話である。それとも、ここぞ我々の信仰心からくる連帯を社会に見せつけるチャンスであると、信者が思ったのかもしれない。

ちなみに、フランスカトリックの機関紙であるLa Croix「信仰」は、毎週日曜欠かさずミサに行くフランス人は5%。子供に洗礼を受けさせるとか、なんらかの形で、信仰生活に関わってくるのは、フランス人の23%しかいないと明記している
この新聞社は、カトリックの新聞社なだけに、記事からは逆説的に、自分たちの宗教がフランス社会から見放され、プレゼンスを失っていることへの危機感がひしひしと伝わってくる。
そのため、何から統計を取っているかわからない、希望的観測盛り盛りの、あやしい統計記事よりもはるかに信憑性が高い。

そして、彼ら曰く、2000年に初めて洗礼を受けるフランス人の赤ん坊が半数割れし、2013年には、32%にまで落ち込んだという。

また、洗礼を受けていても、洗礼をすることを、なんとなしの伝統的な慣習として行う人は多い。
そのため、洗礼を受けたからといって、敬虔な信者の道を歩んでいくとは限らず、僕の友達にも儀礼として洗礼を受けたが、カトリックから離れたり、無神論者になったり、カトリック嫌いが山ほどいる。若い人はほとんどカトリックから離れて行っている事実としての現状がある。

そして、ガチガチなカトリックの人は、伝統的なブルジョワや貴族や田舎の百姓ぐらいのもので、都市民はほぼほぼカトリックではない。

テレビ朝日の動画には、パリからではなく、絶対にフランス全土から来ていると思うが、フランスでは圧倒的少数派になりつつある、敬虔なカトリックの白人たちばかりが「普通のパリ市民」として映し出されている。

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