孤独とフランス人・孤独と日本人 (下) パリで考える自由と孤独編 孤高とボエームと粋 〜山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』によせて〜

1. 孤独と弱みあるいはエロス発露の相関性

Stingは、NHKのSONGSでこう語った。Message In The Bottleで、孤独であることをSOSしたら、世界中の人々から、自分も孤独であるというレスポンスが返って来たと。
学生時分そして、教師の傍、ジャズ歌手をして日々を送り、ドラマーのスチュワート・コープランドに誘われたことで、The Policeを結成し、伝説のロックスターになったSting。Stingの音楽の中には、ジャズやレゲエなど色々な音楽のベースがあり、歌詞もギリシャ神話が出て来たり、高尚で知的で、韻を綺麗に踏んでいるものが多い。かつて、韻に魅せられて和歌や漢詩を研究しているイギリス人に、でもあなたたちにもStingがいるよねと言ったら意気投合したから、日本人やイギリス人は韻を無意識に好む習性があるのかも知れない。
Stingは孤独な男であり、これまた韻をキメているSo Lonelyという曲で、So Lonelyと叫びまくっている。プロモーションビデオでは都営地下鉄浅草線の電車内で口パクで叫んでいる。

 

そういうStingは、9.11のテロ当日にトスカーナでライブをし、Fragileで幕を開けた。その10日後には、アメリカのテロ追悼番組でFragileを歌った。パリのテロの後、閉鎖されていたバタクラン劇場の再開に際しても、Stingがライブをし、Fragileで幕を開けた。Fragileの儚い旋律も、孤独なStingの感性が産んだ名曲。世界史に残るミュージシャンである。

 

Stingは孤独を隠さない英国人。英国人の気質の分析はいつの日かするとして、フランス人は孤独でありながら、それを隠す性向がある。前編で書いたように、女性を中心に、なんとか自己対話して、自分の孤独な現況を幸せであると思い直そうと腐心する。
また、フランス人は自分のFragileな面を見せたがらない。弱みは人に見せない代わりに、苦虫を噛むような顔をして、日々を送る。彼らが、自分の弱さや短所を隠そうとする傾向は、僕が6年来パリに暮らしてフランス人と交わる中で、一度として自虐ネタで笑わせてくれる場面に出会わないことから明らかである。ハゲまみれのフランス人なのに、自分はハゲラッチョチェケラッチョなんて、絶対誰も言わない。歌丸と楽太郎のハゲと腹黒のおきまりのちゃかしあいのようなことは誰もしない。

 

フランス人は太陽に育まれた地中海方面の南部の人を除けば、ユーモラスでなく、根暗で、ペシミスト、得てして皮肉屋。日本の稀代のお笑い芸人である明石家さんまや松本人志があれほどの爆発力を持つのも、辛い過去や貧困の幼少期などを負っていて、それを笑いに変えるたくましさがあってのこと。
フランス人には悲しいことや辛いことを笑い飛ばすような文化はなく、あるいは、親しい人たちで愛ある茶化しあいをして笑い合うこともない。ペシミスティックに孤独に考えて考えて考えて、うつ病になるか、いつもの仲間でネチネチ語り合って、時を過ごす。冗談でも毒づいたりすることは、Fragileなフランス人の心を覆う攻撃的且つハリセンボン的なオブラートがそれを許さない。誰かが面と向かって誰かを批判するようなことは時にあるが、そんなことをすれば、あいつは私を傷つけたとかなんとか始まって、喧嘩、絶交に至る。フランス人は、Fragileで繊細な人たちなのだ。彼らの生命力はそこまで強くはない。

 

また、全体的にフランス人はむっつりしている。エロスも全部むっつり型で、彼らは日本のAVの大きな購買層である。大島渚の愛のコリーダとか日活ポルノとかああいうのを好み、下ネタが大好きなくせに、腹立たしいことにそしらぬ顔をしている。

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孤独とフランス人・孤独と日本人 (上) 勝手にアンサー編 〜山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』によせて〜

自分の近辺の人間に一人、超自由人な男がいる。何にも束縛されず、やりたいことをやり、TDNYPR(ただの酔っ払い)とのたまう。しかし、傍で、人知れず、社会のためになることも楽しくスマートに成し遂げる。話題も豊富だが、決して押し付けがましくない。ふーっと風のように現れ、風のように去って行く。失礼な言い方だが、年齢差は30ぐらいあっても、全くジジ臭くないこの男が、対等な目線で僕と交遊してくださり、色々学ばせていただいている。

 

そのTDNYPRの友達が作家の山内マリコさん。今年5月に、『選んだ孤独はよい孤独』という新刊を出された。話によると、この題名は、フランスの作家のフレーズにインスパイアされたという。先般パリで、TDNYPRと昼下がりからビールを飲んで、フランス人と孤独という面白いテーマを語りあった。そして、これについて勝手に日仏の孤独を考察し、勝手にアンサーすることを約束した。

 

『選んだ孤独はよい孤独』。現代に生きる我々だからこそ、是非読んでみていただきたい。万一つまらなければ、僕の責任で、TDNYPRに金借りて返金します、と宣言したくなるぐらい、小気味良い面白さがあり、そして、人生のあゆみや、現代における人のあり方を考えさせられる。
現代に生きる人間が、「だよね!」と共感したり、「こういうのあるわ」と批判的に冷めてみているポイントが、嫌味なく網羅されている。意図したか否かはしらないが、こういう批評を角が立たないようにするということは、相当難しいことで、そこに作家が作家たるテクニックを感じる。そこまでボリュームはないから、一日で読み終わるが、考えさせられるから、咀嚼するのに時間がかかる。スラスラ読めて、スラスラ読めない、不思議な一冊である。
それでは、いくつか、勝手にアンサーしてみたくなったことを勝手にアンサーする。

 

1.不本意ながらいつもつるむ男

ヨシオという、地元に残り、地元の友達といつもつるんでいる男がいる。ただし、ヨシオにとってこの友達たちは本当の友達ではない。地元に残った幼馴染のグループで、気の弱いヨシオは巻き込まれる形でつるんでいる。不本意なことは彼が一番わかっている。しかし、わかっていても抜け出る勇気がない。

 

そういう人は僕も下町のかつての幼馴染の中に見たことがある。
居心地が悪い中に、身を置き続けるということは、苦痛でしかない。一匹狼になることを恐れず、不本意な環境や人間関係というものに巻かれない強さを持った人間の方が、実りある人生になることは間違いないと思う。そして、一匹狼は、ひょんな事で、波長と価値観が同じ、とてつもなく気の合う人と出会い、融合する機会を得る。不本意に甘んじてはならないことを、再確認させられる。
そして、友情とはなんたるや。フランス人はしょっちゅう、Amitié Amitiéと言ってばかりいる。しかし、本来の友情とは、確認する必要のない感覚であるから、それを確認する時点において、もはや友達ではない。「俺たち友達だよな?」「私たち夫婦よね?」と確認作業を必要とする人間関係になったらそれは破綻していることの証左である。
フランス人を見ていると、「友達だよな」といいながら、大体は学生時代からのいつも同じメンバーとしかいない、人間関係の柔軟性に欠けた人が多い。人付き合いの新規開拓嫌いですか?と思わず問いたくなる。
これは、ひとえに、孤独より、集団でいることの安心感を優先しているからであろう。

 

僕はカウンターマニアであり、それゆえに赤提灯やバーを好む。一人でカウンターにいれば、新たな人たちと会話が始まり、孤独なようで孤独でない、面白い出会いが転がっている。日本人の方が一人で飲みに行く人間は多い気がする。あるいは、色々な趣味に興じるのもいい。たまには良いけれども、毎日同じ「友達」と、テーブル席に座っていては、交友は広がらない。万一その友達たちが、心からの友達でない場合、それは孤独から目をそらす時間になるかもしれないが、結局は、残念な時間のロスであろう。
オープンマインドで社交的なことは、割に孤高を選択しないとできないこと。
最近日本ではタモリ、加藤一二三、蛭子能収など、Going my wayで一人で勝手に邁進している人が改めて注目されている。これは、不本意なつるみに、みんな嫌気がさしているというシグナルなのかもしれない。



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タクシー運転手に怒られました。ハリルホジッチ監督解任で。 〜そして考えさせられたこと〜

僕にとって、フランスでタクシーに乗ることは、一種の社交でもあり、情報収集のチャンスでもある。
明らかにアジア系の外国人である僕がタクシーに乗り、少しフランス語を話せば、「お前さんどこからきた」となるし、そこから、タクシー運転手の話を通じて、社会の世相を知ろうと努める。また、フランス語で会話すれば、ボラれる心配は少なくなる。

 

 

タクシーの運転手は、移民の仕事である。黒人のこともあれば、アラブ人のこともあるし、中華系のこともある。白人の率は少ない。だいたいG7とかTaxi Blueあたりの会社が、安心できるパリの大手タクシー会社で、観光客狙いのぼったくり白タクも平気で走っている。
タクシーの運転手たちは、移民してからこのかた何十年やっておりますという人もあれば、別の仕事をしていたけれども、下火になって転向してきた人などもおり様々であるが、明けても暮れても車を走らせ、一生懸命に稼いでいる。
彼らは、僕が日本人であることをわかると、非常に親切である。そして、究極には黒人の運転手に、日本は中国の中にあるのかと言われたこともあるものの、拙い知識で、日本を讃えてくれることもあれば、やたらと日本に詳しくて、親日家であったりする。トヨタのプリウスはパリのタクシーにも多く、評判がいい。

 

 

運転手たちが、社会を批判するときは、歴史上や現在における白人への恨みなどがボンボン出てきて、僕は面白く耳を傾けている。このように、移民の人から本心を聞ける、大事なチャンスがタクシーという密室には転がっている。
こういう時に、アラブ人なんかが、割合日本には友好的な感情を抱いていたりすることが多く、列強の側にありながらも、日本の独特の国際的な立ち位置を感じたりする。

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音楽会 of the 世界最古の盲学校 〜フランス国立パリ盲学校〜

ひょんなことからパリでジャズをやることとなり早4年ぐらいがたった。

 

ジャズはプロとアマチュアの境が極めて曖昧で、プロと言い張っているわりには、えっという人もいるし、本業があって傍でジャズを楽しんでいる人が、とてつもなくうまかったりする。

 

であるから、ジャズならば、チャンスさえあれば、エセミュージシャンぐらいにはなれる。僕はといえば、たまたまあるジャズバーで歌うことになり、そこから派生して、ワインバーやビストロなどいくつかの場所で時々歌っている。僕が歌えているわけは、音は外すし、身近な人に真剣に批判してもらえば、聴かせるまでにうまいわけではないから、ただのラッキーに過ぎない。楽器は9割5分男性プレーヤーで、歌はその逆でほぼほぼ女性シンガーばかりだから、男性シンガーは物珍しいからニッチだし、そういう立ち位置をわきまえて、音楽は大好きなので、仲間やお客さんと楽しむということに専念している。

 

最近は、大学の後輩でもある女友達とデュオを組むことも多いが、彼女は少し黒人の血が入っているからか、声帯からしてジャズ向きの天才で、自然と聴く気にさせるシンガーである。一緒にライブをすれば、彼女が歌うときはみんな聞いていて、僕が歌うとみんな食べているから、そこらへんからお察し頂きたい。

 

 

ジャズなど音楽に関わる醍醐味は、大学に通っているだけでは出会えない多種多様な人たちと出会え、彼らと友達になって家族ぐるみで付き合ったりするようになっていけば、現地の社会にどんどん入っていけるということにある。音楽が、様々な世界を見聞するチャンスをもたらしてくれる。

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大統領制のフランスに住めば 〜マクロンの改革・サルコジの拘束・森友問題等に比較して〜

3月20日に、フランスの前々大統領サルコジの身柄が拘束された。容疑は、数年前より取り沙汰されていた、2007年の大統領選挙において、アラブの春で失脚殺害されたリビアのカダフィ大佐から、莫大な資金援助を受けていたというものである。この時の大統領選挙でサルコジは当選を果たし、1期丸5年を勤め上げた。

 

 

その3日後の23日には、韓国のこれまた前々大統領の李明博が逮捕された。容疑は、大統領への機密費の上納と、サムスンとの癒着である。たまたまであるが、こういう流れになっているのが面白い。

 

 

フランスに外国人として住むと、フランスは確かに大統領制の国なのだなと感じさせられることが、生活レベルにおいてある。どういうことかというと、大統領が誰であるかによって、行政サービスが変化する。

 

例えば、僕はサルコジ政権の末期に、日本のフランス大使館で学生ビザを取得した。
その時にまことしやかに言われていたのが、サルコジは移民や外国人のフランスへの流入が嫌いだから、学生ビザの取得が大変だよという噂であった。
実際、パリ第7大学への進学が7月半ばに決まってから、さあビザ取得だと思ったら、予約可能なビザの面接日が8月の末しか設定できず、面接では3週間以上発給まで待たねばならないと言われ、これでは、9月初旬の進学手続きに間に合わないと人生最大の焦りを感じたのを覚えている。それも、3週間の余裕を持って、面接日を予約してくださいと大使館が言っているのに、3週間以上前に予約しても、それ以上に待たされるという矛盾に愕然とした。
これがフランスの洗礼かと驚いたが、ビザは人に助けられて、運良く数日で発行され、急いでパリへと飛び立った。

 

このサルコジ政権末期の留学やフランス進学は、魔の一年であったようで、こうした日本人学生への非友好的な対応のために、交換留学にいけなくなったり、受かっていたはずの大学に進学できないといった不利益を被った人は少なくないとのことであった。

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パリジャンと江戸っ子と京都の都人 〜なり切れるか、なり切れないかのはざまで〜

事実、パリジャン・パリジェンヌという響は、多くの人々を魅了する。

 

パリは、芸術や食、ファッションに学問、ありとあらゆるものを結集させる力と、発信力の二つを兼ね備えた都市である。それ故、ヨーロッパの中では、嫉妬からくるやっかみで、パリやパリジャン・パリジェンヌを皮肉ったり馬鹿にする人もいる。他方、外国人や田舎者が憧れのパリに来た時に、思いっきりパリジャン・パリジェンヌであろうとすることもある。

 

国立文法語彙リソース研究センターの定義によれば、パリ人とは、「(Celui, celle) qui est né(e) à Paris et/ou qui y habite.」、ということで、「パリに生まれ、パリに住む人。もしくはパリに住む人。」である。

 

これは、パリ人の定義に、「生まれて住み続けている人」と、「住んでいる人」の2種類があることを示している。残念ながら、「パリ生まれだけれど、もう住んでいない」という人は、パリ人ではない。

 

しかし、この2種類のパリ人には、明確な差がある。

 

歴史学者の故井上勲先生は、新撰組を語る時に、「同調の過剰」という言葉を使われた。「同調の過剰」とは、武家の出ではない新撰組のメンバーは、武士であろうとするために、むやみに刀を抜いたり、恥じることなく闇討ちをしたりする。このように、彼らが武士であろうとすればする程、本物の武士がしないことをやるというものである。

 

このように、パリ生まれでないパリ人には、パリ生まれの生粋のパリっ子がしない所作言動がある。

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海外の日本人ぺてん師 -パリ千家家元千パリ休-

海外にいる日本人で、書道家とか茶道家を見たら要注意。 ぺてん師である可能性がある。
小さいギャラリーなど、いたるところで、訳のわからない日本関連の展示会があるから、冷やかして見ると面白い。
とてつもなく下手な字を掛け軸に書きつけて、たいそうな値段で売っていたりする。
茶道をちょっと舐めた程度の経験しかないような人間が、いかにも茶人であるという顔をして茶道教室を開いていたりする。

 

 

さて、名もない職人が作った日常の雑器が、人々の日常生活の中で用いられるというその素朴に美を見出し、これを「用の美」と名付け、民藝運動を興した哲学者の柳宗悦がある。
名もなき職人の器や織物などは、高級品ではなく、見せびらかすためのものでもない。
しかし、その手仕事の中に込められた丹精から発される慎ましい美しさは、わかる人には確実にわかる。 そして、フランス人は特に、これを理解する人が多い。

 

 

柳宗悦は、津藩藤堂家の家臣の家に生まれ、母方の叔父に、近代柔道の創始者嘉納治五郎をもち、妻は近衞秀麿や山田耕筰の時代に、日本の声楽をリードしたアルト歌手兼子であり、長男は亡くなった今もなお、家庭のキッチンデザインで光を放つ柳宗理と、柳一家は日本の近代の芸術を見る上でのキーである。

 

 

この柳宗悦の教えを直接受けたある方とパリを散策した時、工芸品は、「頭で考えるのではなく、手にとって、触って、感じることだ。」、とご教示頂いた。
民藝を学者が語る時、作り手の所にもいかず、自分で品物を味わいもせずに、柳の本を読んだだけで、民藝を語るようなことが多いという。
美術について感じようともせず、あれこれ聞いた僕の態度を叱責されてのこの言葉であり、はっとしたものである。

 
あるいは、私は「違いがわかる」人間になりなさいと、常々ある方から薫陶を受けているが、これも根っこにある価値観は同じことと考えている。自分も実践できているかは自信がないし、難しいことではある。 しかし、手や口や、鼻や、目や耳から、体全体を使って芸術に触れ、感性を磨き続けていくことで初めて、 芸術という奥深さの妙味を味わえるようになる。そして、その訓練は日常の営みの中で、毎日することができる。 街を歩きあちこちを眺める。それだけでもいい。自分が思う趣味の良い店、あるいは趣味の悪い店に入るだけでもいい。紙コップでコーヒーや酒を飲むのと、器で飲むことの違いを感じるだけでも良い。 使い捨てのライターと、マッチやジッポーで点けたタバコの旨味の違いに気付くだけでも良い そこには、厚かましいうんちくや、理屈はいらない。

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現代パリ恋愛模様 〜パリと錦糸町のエレジー〜

男のサガというものは、本質的に辛く哀しいものである。 若き無鉄砲の時代には、そう思わなくても、男の身には、「男はつらいよ」と思わせる様々の経験が降り注ぎ、浮世の理を知る。
車寅次郎は、日本各地やウィーンで、48回も女に振られたが、そこまで振られなくとも、運命の連れ合いに出会うのがいかに難しいことなのかは、我ら男は、そしてきっと女もわかっている。パリは花の都で、恋人たちの街であるとのステレオタイプのイメージは、少なくともこの21世紀にはあてはまらない。

 

 

2016年のある研究では、43%のパリジャン(男)・パリジェンヌ(女)が独身で、パリジェンヌになると2人に1人、つまり50%は独身だという。パリの街中には、出会い系サイトの広告が溢れている。パリのカップルのうち25%が3年以上付き合っている、古いカップルであるとも言い、確かに僕の周りのカップルも、マンネリさえ匂わせるほど長く 付き合っている。
1ヶ月少し前の、ある夜に、バーで僕に絡んで来た女がある。その女は、少し酔っていた。
そして、「男は許されるくせに、女が一人でバーに入り、男を口説くことが、なぜいけないのか。」
「男が性欲を発散することは、大してタブー視されないくせに、女はなぜ男のように振舞ってはいけないのか。」 などと自説を吐いた。
その女が溜まっていたことは誰の目にも明らかであった。
しかし、もし男を誘惑したいのであれば、おそらくこの方法は逆効果で、男をその気にさせるためには、色目や、さりげない話術で誘惑しない限り厳しいであろう。それがたとえ、後腐れを感じさせない、一晩の出会いであったとしても、くすぐる何かがない限り、男共も反応の仕様がない。

 

 

この大都市にあっては、男や女は時として愛のない刹那的な交わりで、運命の相手に出会わない寂しさを満たす。満たせないと知っていながら、満たすふりをする。フランス人全体で、人生の経験人数の平均が11人であるのに対し、パリジャン・パリジェンヌは19人と増える。
そして、安定の相手を見つけている者も、それが心震わす運命の人ではないようで、満たされない何かがあり、46%のパリジャン・パリジェンヌが パートナー以外と逢瀬を交わした、人には言えない過去を持つ。

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現代フランス人の宗教観と日本人の宗教観

「宗教は何?」「何を信仰してる?」
フランスでは、いとも簡単に、こうした質問が飛び交う。
フランス人は議論好きだから、一議論を巻き起こす宗教の話題は好きだし、僕に対しては、僕が日本人であるから、日本人の宗教を聞いてみたい という興味もあるのであろう。

 

 

日本では、宗教の話題は避けるべきテーマである。気心の知れた仲間になって初めて、宗教的タブーな話題やブラックジョークで笑い合ったりする。宗教の話題といっても、そんな程度のもので、宗教観についての深い話になることは、そうはない。
であるから、通常、日本人は、自分の宗教観について考えることもない。
多くの日本人が、お宮参りをし、七五三を神社でし、初詣に行き、お墓参りをし、天神様に合格祈願をし、チャペルで結婚式をあげ、仏式や神式なりの葬式で葬られるという、ブレンドされた宗教的儀礼を実践しているにも関わらず、何も考えないから、無宗教などと言ってしまう。

 

 

フランスでは、無宗教という言葉は、とりもなおさず、無神論と言うことになる。
そして、結構な割合で無神論者がいる。
宗教の議論になると、そういう人は「Je suis athée.」 「無神論者です。」、と言う。
無神論者は、神や仏といった宗教的な存在や、「神がかる」といった宗教的な作用の一切を否定しており、何も信じない。
彼らにとって、一切の宗教行事は必要ない。そういう家庭の子供は洗礼も受けない。教会で結婚式もあげない。

 

 

また、現代のフランスにおいて、敬虔なクリスチャンは極めて少ない。 特に若者の間で、毎週ミサに通い、ロザリオを肌身離さずなどという人はまず見かけない。
5年フランスにいて、時にフランス人の家庭に招かれても、食事の際に神に感謝している姿は見たこともない。
大方の、フランス人の信仰形態は、「Je crois en Dieu, mais je ne suis pas pratiquant.」 「神は信じるけれども、戒律の実践はしません」、というタイプか、無神論者である。

 

 

フランスでは、僕はしばしば、色々な人から「何教ですか?」と聞かれるから、自ずと自分の宗教観を考えざるを得ない。
僕の決め台詞は、「僕は伝統的だから、多神教たる日本の神道と仏教のメランジェ(混交)、すなわち神仏習合。」 「ちなみに、家の氏神様は京都の梅宮大社で、家の宗派は日蓮宗です。」というものである。
そこから、根ほり葉ほり聞いてくるので、日本の八百万の神の信仰や、仏教伝来以降の神仏習合の話に軽く触れておく。
場合によれば、教会でもモスクでも祈れるよと柔軟性を述べる。
ちゃんとこの混交感が説明できれば、西洋人たちは、この日本の極めてマイルドな信仰形態に興味を持つし、理解もしてくれる。

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Belleville -面白怖いパリのカルティエ、キリシタンのまぼろし-

パリの北の方、20区の中にあるカルティエ、Belleville(ベルヴィル)。
字面は、美しい−街、Belle-Ville。
僕はこの街をSalleville(サルビル)。汚い街と呼んでいる。

 

 

中世には、修道院や教会の門前町として栄えたそうだが、その面影はない。19世紀にはパリの貧民街として知られ、第一次大戦の後には、東欧や東欧ユダヤの移民街になり、第二次大戦に際しては、多くのユダヤ人が検挙 された地区でもある。
戦後、50年代にチュニジア系ユダヤ人が入り、60年代よりアラブ人、80年代には中国人が入った。
今では中華街のイメージが強い。

 

 

1915年12月19日ここで生まれた名歌手がいる。曲芸師Louis Gassion(ルイ=ガッシオン)、道端の歌うたいAnnetta Maillard(アネッタ=マイヤール)の間に生まれた、Édith Gassion (エディット=ガッシオン)、のちのÉdith Piaf(エディット=ピアフ)である。
母親と母方の祖母からネグレクトを受けたピアフを育てたのは、曲芸師を引退し、大道芸人をする父であった。その横で母親のように歌を歌い始めた彼女はスターダムへと駆け上がる。
中華街の坂を登れば、右手に彼女の生まれたアパルトマンが残っている。

 

 

このシステムをよく検証しなくてはならないが、パリの移民街には、アラブ人がいたところを中国人が占領していくという構図がある。
そして、そこを押し出されたアラブ人はまた別のエリアへ行く。
僕の友達の友達である、スペイン人と中国人のハーフで、顔がほぼ中国人、しかしフランス国籍という女の子が、Bellevilleに住んでいて、乗っていた自転車ごと倒されて数人のアラブ人にボコボコに殴られたことがあった。こういう事件は後をたたない。移民同士の軋轢を見せる、ベルヴィルである。
無論、街はゴミや落書きだらけである。
僕は、日本人が来たら、ぜひともピアフを口実にこの街を見て欲しいと思っている。こんなところに観光に来る人間はいないが、パリの一つの実情を知るには非常に適している。

 

 

かつて、日本人三人でここに来て、路地裏にあるベルヴィル公園に来たら、色々な人から睨まれた。あるカメラマンの友人がカメラを向けたら、アラブの人に怒鳴られた。そういう街である。
歩く時には多少緊張が増す。時に、黒塗りのベンツの窓を開けて、チャイニーズマフィアが睨みを聞かせている。
この街を横に走る道には、5メートル間隔で中国人の娼婦が立っている。僕が言っては失礼であるが、彼女たちは驚くほど不細工で、年齢も高い。誰が買うのか疑問である。彼女たちの丸顔が緊張をほぐす。

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