日本・西洋、親子のちがい

日本とヨーロッパでは親子関係のあり方が極めて違う。

日本人の感覚をしてわかりやすく言えば、ヨーロッパではファザコン・マザコンが普通だということである。

日本では、親離れ子離れは社会の大人としての嗜みであり、親子がベタベタするということは、ファザコン・マザコン、子離れできない馬鹿親というものを除けばないであろう。

さて、ヨーロッパに暮らすと、フランス人や、イタリア人も、「日本とヨーロッパは遠いし、さぞ寂しいでしょう。親御さんには毎日電話していますか?」というような質問をよくしてくる。

そして、「いいえ」と日本人として当たり前の答えをすると、日本文化を知らない人なら、冷たい親子関係、冷めた家庭、というような驚きの表情をする。

この西洋人の眼をして、冷めきって映る日本の親子関係は今に始まった事ではない。

安土桃山時代に30年も日本で布教活動に励み長崎で亡くなったバテレンの宣教師ルイス・フロイスは、日本人の親子関係がいかに自由奔放で勝手で個人主義的であるかをネガティヴに捉え、こう書き残している。

「ヨーロッパでは、男女とも近親者同士の情愛が非常に深い。日本ではそれが極めて薄く、互いに見知らぬもののように振舞い合う。」
「ヨーロッパの親たちは仕事があれば、息子と直接に交渉する。日本では全て使者または仲介人を通じておこなう。」(ルイスフロイス、ヨーロッパ文化と日本文化)

数は少ないが、今でもフランス人の切支丹は、一家団欒というものを基調とする家族家族家族家族の文化を持つから、皆で夕餉を囲むのが基本で、家族がバラバラに夜に家を空けて街に繰り出し飲み歩いたりすることはない。
また、そもそも、家族が冷えているということだけではなく、酔っ払うこともキリスト教では罪だから、バーとも遠い生活になる。
だから、バーやナイトクラブに繰り出してガブガブ飲むような西洋人は、切支丹ではないことが普通である。ライフスタイルが切支丹とそれ以外では違うのである。

それに比して日本はファミリー的な家族というよりかは、家の文化であろう。
日本人は家族ということに関しては自由奔放でドライだから、家族の絆とか一家団欒ということを日本人が絶対的な価値で目指すべき美しいものと目的化することは、やはり座りが悪い。
日本人は結果的に家族が緩やかに結びつき、割に仲がよかったよねというのが一番しっくりくる。
ベタベタした家族など気色が悪い。
普段はベタベタせずとも、家名を共有し、同じ先祖の子孫として結びつき、家名や墓や財産を継承する家族の在り方である。

そして、日本人が家を巡ってドライな人々であるからこそ、家にまつわるものが骨肉の争いとして表面化した場合は、崩壊と爆発の仕方が生半可なものではない。江戸時代にも、連座制を免れるために「義絶」などと言って、親子や親族関係を公的に切るものがあったが、今も「絶縁」などという弁護士を立てれば限りなくオフィシャルにできる言葉や文化として残っている。

一番有名な肉親たちの抗争はやはり、京で10年も続いた応仁の乱で、これは武家畠山家の家督争いで親子兄弟が血で血を洗う抗争をしたことに、細川家や山名家の室町幕府における勢力争いなどのあらゆる問題が結びついて大規模化した乱である。

もちろん人間の社会であるから、ヨーロッパにも遺産相続の揉め事などで親族が絶縁したり、兄弟仲が修復不可能になることはある。ドイツの名音楽家ワーグナーの子孫が、彼が死しても尚産み続ける莫大な資産を巡って大げんかをしていることは有名な話である。しかし、やはり、彼らは常日頃から、日本人からしたら逆に重たかろうと思えるほどに家族、特に親子の結びつきがべったりとしている。

離れて暮らしていれば、毎日欠かさず親子で電話をする。
親の方が子供の方へ接近してくる。
子供もおじさんおばさんになっても、パパママンとやる。

そういう精神的にも見た目的にも強固な結びつきである。

そして、面白いのが、彼らは関係が悪化した親子関係の中の愚痴を除いて、表向き親や子を褒める文化を持つことである。

日本は逆に、そんなことをすれば品性や慎みに欠けた親馬鹿を公然とする馬鹿親ということになるし、子供がそんなことをしていても、極めて気持ちの悪いことである。
むしろ日本は、「うちの愚息は」などと、身内を良く言わなかったり悪く言う謙遜という独特な文化であり、これは西洋には存在しない。

また、日本には、「お前の母ちゃんでべそ」、という意味のわからない、しかしそこまで人を傷つけているとも思えない悪口がある。

こんなことを西洋人に言ったら、人の母上を毀損したとか何とか言って大変なことになるであろう。

積極的に西洋人は、子なら、「パパは優しくていい人」「ママは優しくて今でも綺麗」などと平気で人に言ったりする。
そして親は、「うちの子は優秀で」「うちの子はハンサムで」「うちの子はいい子で」と、実に人に良く言う。
あるいは、人前で親子がハグをしたり、触ったり、髪を撫でたり、頬を寄せたりという光景も全く珍しいことではない。僕がびっくりすることを具体的に言えば、お父さんが娘の髪に触ったり、お母さんが息子の頬にキスをしたりするということである。

特に友達の家になどに招かれれば、家の中でのこういう光景は普通であるし、「我がいとしの子供よ」「私のいとしのパパ・ママン」などという言葉がけも普通である。

日本人からすれば子が年老いた親の手を曳くとか、孫と祖父母が手を繋いで歩いているなどという孝行のコンテクストの中のボディタッチは美しくこそあれ、親子がいい歳こいて何を触りあっているのかという年齢層の段階においては、やはり気色が悪いことであろう。

逆に言えば、向こうからすれば、日本人はやはり、親愛の情が見えないからこそ、薄情な親子たちに見えるであろう。

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