現代フランス人の宗教観と日本人の宗教観

「宗教は何?」「何を信仰してる?」
フランスでは、いとも簡単に、こうした質問が飛び交う。
フランス人は議論好きだから、一議論を巻き起こす宗教の話題は好きだし、僕に対しては、僕が日本人であるから、日本人の宗教を聞いてみたい という興味もあるのであろう。

 

 

日本では、宗教の話題は避けるべきテーマである。気心の知れた仲間になって初めて、宗教的タブーな話題やブラックジョークで笑い合ったりする。宗教の話題といっても、そんな程度のもので、宗教観についての深い話になることは、そうはない。
であるから、通常、日本人は、自分の宗教観について考えることもない。
多くの日本人が、お宮参りをし、七五三を神社でし、初詣に行き、お墓参りをし、天神様に合格祈願をし、チャペルで結婚式をあげ、仏式や神式なりの葬式で葬られるという、ブレンドされた宗教的儀礼を実践しているにも関わらず、何も考えないから、無宗教などと言ってしまう。

 

 

フランスでは、無宗教という言葉は、とりもなおさず、無神論と言うことになる。
そして、結構な割合で無神論者がいる。
宗教の議論になると、そういう人は「Je suis athée.」 「無神論者です。」、と言う。
無神論者は、神や仏といった宗教的な存在や、「神がかる」といった宗教的な作用の一切を否定しており、何も信じない。
彼らにとって、一切の宗教行事は必要ない。そういう家庭の子供は洗礼も受けない。教会で結婚式もあげない。

 

 

また、現代のフランスにおいて、敬虔なクリスチャンは極めて少ない。 特に若者の間で、毎週ミサに通い、ロザリオを肌身離さずなどという人はまず見かけない。
5年フランスにいて、時にフランス人の家庭に招かれても、食事の際に神に感謝している姿は見たこともない。
大方の、フランス人の信仰形態は、「Je crois en Dieu, mais je ne suis pas pratiquant.」 「神は信じるけれども、戒律の実践はしません」、というタイプか、無神論者である。

 

 

フランスでは、僕はしばしば、色々な人から「何教ですか?」と聞かれるから、自ずと自分の宗教観を考えざるを得ない。
僕の決め台詞は、「僕は伝統的だから、多神教たる日本の神道と仏教のメランジェ(混交)、すなわち神仏習合。」 「ちなみに、家の氏神様は京都の梅宮大社で、家の宗派は日蓮宗です。」というものである。
そこから、根ほり葉ほり聞いてくるので、日本の八百万の神の信仰や、仏教伝来以降の神仏習合の話に軽く触れておく。
場合によれば、教会でもモスクでも祈れるよと柔軟性を述べる。
ちゃんとこの混交感が説明できれば、西洋人たちは、この日本の極めてマイルドな信仰形態に興味を持つし、理解もしてくれる。

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