フランスの選挙カーと政治家のポスター

選挙カーにせよ街頭での選挙演説も、辻説法の系譜を引く日本的な現代文化といえなくもないかもしれないが、うるさい。
そのようなことは、逆にシンプルな文言で自己主張することを急ぐあまり、自分の理念をちゃんと理論立てて表明できる政治屋がどれだけいるかわからないが、実は何が政治理念なのか言っている本人も聴衆もわからないという混沌に埋没してしまう。

そんなことはしなくても、選挙公報とチラシと政見放送で十分有権者は候補者の意見に触れられるし、もっと深いところで考えを知りたいから、「受かったら何々をします!」という幼稚園の宿題のような実行できるかも甚だ怪しい稚拙な表明文ではなく、日本国家をどう導きたいのか思想信条含めた小論文を書いて配った方がよっぽど良い。PDFでもなんでもいいから、小論文を書くことを候補者に義務付けたら良いかもしれない。マニフェストのチラシはバカでも書けるし、さし絵やらを描いて柔らかいイメージを打ち出したりごまかしが効く。論文はその中にこそその人間の性質や思想や知性が現れるから、有権者にとっても投票先の判断材料としてより良いであろう。

フランスの選挙戦では会館やイベントスペースの中での演説会はあるが、街頭演説などもなければ、選挙カーもない。
選挙ポスターや常時の政党ポスターはあるにはあるが、日本のように、人の家の塀や、田舎の畦道や、公道沿いにペタペタこれが貼られるような悪趣味なことはない。
辻の壁や工事現場などにゲリラ的に貼られている政治の張り紙やポスターはあるが、パリの街並みの至る所にそんなのが貼ってあったら興ざめであろう。

日本の政治屋というのは不思議で、女はきっとココシャネルも絶賛してくれるに違いないであろうピンクや単一パステルカラーのスーツに身を包み、男も粋でいなせなのしかいないから良いのかもしれないが、ああどこもかしこも顔写真入りカラー刷りの政治屋のポスターが、北海道から沖縄まで所狭しと貼られる国もない。

選挙カー。政治ポスター。
日本人が日本人たちで培ってきた時代の集大成としての江戸時代には今の政体もなければ、もちろんそんなものもない。
武士が泣くぜ。

真に「美しい国日本」を取り戻す一歩として、選挙カーも政治ポスターも廃止したら如何か。

僕はこの夏ルノワールの裸婦像を焼いたポスターでも眺めながら、ドビュッシーでも聴こうか。

フランスより心からの祖国愛と憂国の念ともに
日本の皆々様に暑中御見舞を申上候

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