トリエステの夜半

トリエステの夜は早い。
夏の陽は夏時間の夜9時前まであっても、観光客目当てのレストランや一部のバーを除けば、大方9時には閉まってしまう。
地元を感じたいなら、この地元の店じまいの時間に店を閉める店に行くのが良い。

陽が永く、人の活動が短い。そう言うこともできるし、太陽の民族イタリア人が活動を陽とともにしている、と言うこともできる。

日暮れとともに地元民が街場から姿を消すとなると、日暮れに一日の締めとして賑わうのがアペリティーヴォということになる。

この語源はラテン語で「開く」を意味するApertivus(アペルティヴュス)に由来するという。古代ローマの人々は午後にテルマエで一っ風呂浴びた後、ワインやヤギのチーズでアペリティヴュスを楽しんだそうだ。

古代ギリシャの人と、古代エジプトの人にもこの習慣があったとされるが、フランスでは中世に貴族が食欲増進の健康目的で食前酒としてのアペリティフを飲み出し、農民は親睦のためにピクニック的にアペリティフをしたという。そして、19世紀中葉、日本の幕末の人々がコロリに苦しむ頃、フランスではマラリアが流行り、これに効くキニーネ入りのワインたる薬用酒が、今は食前酒に名を残す化学者Joseph Dubonnet(ジョゼフ・デュボネ)によってもたらされ、外人部隊を中心に飲まれたとのことだ。

しかし、19世紀に今のアペロ文化の原型となる、日暮れにバーでちょいと一杯引っ掛ける文化を生んだのは、古代ローマ人の末裔でおられるイタリア人、彼らである。これがヨーロッパ中に広がったが、やはり今日においても、元祖のイタリアではフランスに増してアペリティーヴォが盛んである。

極めて安く大盛りのつまみに酒。
そしてこれらは上等であり、安かろう多かろう旨かろうの極みである。

今宵僕は地元民で賑わうGran Malabar(グランマラバール)という店に入った。
プロセッコと一人前の生ハムとチーズの盛り合わせを注文する。
プロセッコは一杯4ユーロ、盛り合わせは一人前8ユーロ。

僕の場合は一杯では終わらないから千ベロとはいかないが、千ベロ価格である。
カウンターの左端に腰掛けた僕の隣には、70代後半と思しきお婆さんが二人女子会をし白ワイン一杯で1時間も話し込んでいた。半千ベロである。

しかし、イタリア人は気前が良い。
プロセッコを、グラスに刻まれた規定の線を超えて、ささやかに、押し付けがましくなく「おまけに少し多く入れてやったぞ」という笑顔で注いでくれる。
店の人間も忙しいのに、「英語・イタリア語どっちで行ってみる?」と僕に聞き、「イタリア語で頑張るよ」と返すと、真面目にイタリア語を聞いてくれて話してくれる。

Generoso(ジェネローゾ 気前が良い)とはイタリア人にはお似合いの言葉である。

日本人が古来から表面張力が今日の地球にもまだあるのか確認するために行う、酒をぐい呑のすれすれまで注ぐ「おっとっと」の精神とイタリア人の心意気は似ている。
おっとっとでグラスのすれすれまでプロセッコやワインを入れてくれるわけではないから、まだまだイタリア人は日本人には勝てていないが。
こういう心意気は、青白赤の国ではそう簡単に起きることはない。緑白赤か白地に赤丸の国の特権だ。

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ガリア人たちの酒場では、ギャルソンは客の支払う金銭の対価への当然の給仕として、グラスの規定線を化学者のように守って注いで去っていく。
しかしそれは当然で、青白赤の国においては、ワイングラスに刻まれた規定線より多くワインやシャンパーニュが注がれた場合、キュリー夫人の呪いで、グラスのケイ酸塩とシャンパーニュに含まれる放射線が臨界現象を起こし人を死に至らしめるから、きっちりと規定の分量を守って酒を注ぐのである。

このように酒場一つとっても、イタリアには、ローマ人達による、ちょっとしたキザなほっこりが毎日溢れかえっている。
オスピタリタ(Ospitalità ホスピタリティー)という言葉も、ラテン語のOspite(オスピテ)が語源なわけで、彼らはしっかりと古代ローマ人の末裔の名に恥じない生き方をしている。

今日は民泊AirBnBのオーナーのヴェロニカが、長髪の僕にはドライヤーが要るであろうとわざわざドライヤーを買って持ってきてくれた。

全くイタリア人はいい意味で世話焼きである。

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1 Response to トリエステの夜半

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