男の悲哀・子の悲哀

マルボロの家に着いたら、母君が起きていた。
僕は気付かれぬように兄貴の空き部屋に泊まりたかったが、翌朝仕事の母君があんな真夜中に起きていたのは、僕が泊まることを母へ伝えたいつも通り抜け目のないマルボロの仕業であった。
それで起きて我々の帰宅を待っている慇懃な母親も、礼法に長じた上品な上流のフランス人の模範である。

キャメルの家もそうだが、マルボロの家もいつも僕を招いてくれる。
キリスト教文化の国々のクリスマスは、もはやキリスト教徒でない家々も白人なら家族で集まる日である。クリスマスは、社会が全て三が日のような日として設定され、人々はそれぞれの家に篭り街場に出ることはないから、外人が一番外人であることを知覚する日である。そんな日に、いつも僕が一人ぼっちにならないように、マルボロの家が僕を招待するのである。

この母君は手先が器用で、日本の刺し子をする人であり、料理が美味しいことが自慢である。
抜け目のないこの母をして次男マルボロであるが、マルボロが一番母親に性質を似せる。彼は料理もうまい。

挨拶のためにわざわざ起きていてくれて逆に申し訳ないが、そそくさと挨拶をし、我々は各々眠りについた。

よく呑み、おまけに白ワインのせいで頭痛の中で僕は目を覚まし、一瞬どこにいるのかわからなくなった。
ベッドの上でぐうたらしていたら、絶妙のタイミングでマルボロが僕を起こしに来て、サロンの食卓には母親が朝パン屋に買いに行ったクロワッサンとバゲットがあった。どこまでも抜け目がない。

母君に改めて礼を言ったが、「どうせ部屋も空いて人が少ないから、いつでも泊まりたい時に泊まってらっしゃい。」と嬉しい言葉を下さる。
僕はこの家の両親には世話になっているから好きであるし、何一つ不自由のない家と見受ける。しかしなぜかマルボロの兄も姉も家を出て、実家には極端な距離を取り、それは親兄弟には理由が特定できるはずもなく、本人たちからの心情の吐露もなく、謎とされている。
母君のこのありがたい言葉は、僕と母君が一対一の関係にある上の言葉として聞けば単純に極めて親切なホスピタリティに溢れる言葉と言えるが、実はその言葉の響は哀しいものであった。

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