フォンテーヌブロー駅前駐車場殺人事件 〜嫌われ者のフォンテーヌブロー〜

背景

フォンテーヌブロー駅前駐車場殺人事件。

この事件に関しては、十二分にフォンテーヌブローというパリ首都圏の小地方都市の、立地と社会的立場という二つの立ち位置を理解しておく必要がある。

パリ近郊には二つの世界遺産の城下町がある。
今は美術館になったルーヴルだって、そのはす向かいのパレロワイヤルだって、大統領府のエリゼ宮だって宮殿で、パリの中央自体が、江戸城を中心とした山手と下町の江戸八百八町的であるのだが、近郊には南西20キロにヴェルサイユ、南東70キロにフォンテーヌブローの宮殿がある。

ヴェルサイユはルイ13世の狩猟目的で建てられ、それを14世が本格的に宮殿として整備し使用したから、時代的には寛永で家光公の時代となり割に新しい。

フォンテーヌブローは創設年は不明ながら、歴史史料の中で、ルイ7世の1137年の文書に初見されるから、平安時代、御歌を百人一首に残されるほどの歌の名手崇徳天皇の御御代には、既に存在した。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

この歌は日本のかるたの名手から聞いて、私も好きになった歌なのだが、讃岐に流されて、京に祟りを起こしたとされる崇徳天皇がお詠みになられたと考えると、陛下の御歌の純朴な雅に感慨もひとしおである。

フォンテーヌブローも澄んだセーヌ川上流に位置し、太古の昔、海の底であった時代の岩が剥き出た森林の名所であり、昔は歴代王の狩場であり、今はロッククライミングの聖地でもある。

もしかすると、崇徳天皇は、ルイ7世の招きで、フォンテーヌブローにおん御幸なされた可能性も否めない。

さて、パリが武家の都江戸東京ではなく、京都と姉妹都市を結んでいるように、パリは京都と似ているかもしれないが、フランスの地方城下町はこと日本の地方城下町に似ている。

私も神道仏教の混交伝統日本人、すなわち異教徒ながら、地元のカトリックの人たちに混ぜてもらって、先祖代々千年はフォンテーヌブローに住んでいるという、フォンテーヌブローの森を熟知された地元の人たちと一緒に森を歩いたが、ここにはこうした先祖代々の住民が普通にいる。
そして、貴族や騎士といった家来も住んでいれば、昔からの町人たるブルジョワもいる。
街と森を抜ければ、近郊の村々には、代々の農家がある。

まさに、昔から城下へ暮らす伝統的な人々の中に、新規流入の中上流の白人フランス人が混在するという感じであり、これが、構造として特に江戸近郊の日本の城下町に似ているのである。

パリの成り上がりは、16区や西に隣接するヌイイ、東隣のヴァンセンヌという超高級住宅地にこぞって住むので、フォンテーヌブローは成り上がりのスノッブの匂いのしない、本当の上品の薫りが漂う街なのである。

人々は割によく躾けられ、ゆとりがあり、フランス人が無愛想であると言っても、ここの住民たちは割に挨拶ができる。歩き方や動きも緩やかである。

私はパリの夜遊びと活気が恋しいと思いながらも、生活や人の質はフォンテーヌブローの方が格段に高いと感じて、この街が結構気に入っている。

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