ヴェネツィア小旅行

アドリア海の東と西。
ちょうど館山をトリエステに見立てれば、三浦半島あたりにヴェネツィアはある。
残念なことに、湾を突っ切ってトリエステとヴェネツィアを結ぶ船はなく、普通列車で片道2時間の旅程を要する。

今日は2019年8月15日。
前日にトリエステの街を方々歩いて歩き疲れ、早寝をしたから、朝早くに目が覚めた。
これを良いことに、ヴェネツィアへ行こうと思い立った。
日が暮れて早々と寝、日の出とともに動き出す。
昔の日本人や今も変わらぬラテン人のような一日の始まりである。

しかし、毎年この8月15日というのはフランスに居ようとイタリアに居ようとどこか気が晴れない。
日本人を毎年憂鬱に締め付ける呪縛の一日である。

東京人の僕にとっては、3月は東京大空襲の季節で、全日本人にとって8月は原爆に終戦の季節であり、どうしても湿っぽい気分になる。浮かれるわけにはいかないし、かと言って旅行をしていれば一日旅程をキャンセルして服喪するわけにもいかない。毎年同じように思いを馳せ手を合わせることぐらいしかできない。
こんな日にヴェネツィアに着の身着のままぷらっと行くなどということは、不謹慎な気もしてしまう。

思い返せば十年前の今日、二十歳の僕は、今日の自分がしていることとは真逆のことをしていた。
靖國神社の特別奉仕者として、境内でお守りやお札を売っていたのである。

学習院にはその頃、ある公家の御老公がステッキを片手に、神社の臨時アルバイトの学生を募集されるのが風物詩であった。
学生がこの御老公に誘われ、応募すると、自動的に靖國神社か明治神宮に振り分けられることになる。
噂では明治神宮の方が職員食堂が良いなどということであったが、僕は御老公から靖國への奉仕を拝命し、若き神官の面談を経て採用された。

当時の靖國はまだ靖國が靖國らしい時代であった。
昭和天皇が、武の神々である靖國は武家でなくては治まらぬとの大御心をお発し遊ばされ、それがまだ守られていた時代であった。当時の宮司はある外様大名でいらしたが、参道を従者も付けず準備期間にお忍びで一人歩かれれば、周りの空気が引き締まる様は、重厚で忘れがたい印象を残した。

当日には随分お年を召された遺族会の方々、それこそ不謹慎な軍服マニアたちの行軍もどき、マオカラーや冬のスーツで嫌にかしこまって参内してくる暑苦しいやくざ。御霊に敬意を払われるごく普通の日本人たち。そんな方々が東屋に来て何かを求めれば、これは商売ではないということで、「ありがとうございます。」ではなく、「ようこそお参り下さいました。」と言わねばならぬルールを遵守しつつ、僕は山のように根付やお守り、破魔矢、お札を渡していた。

正午になれば戦没者追悼式の玉音が放送され、その時ばかりは全ての人の動きが止まり、僕も同輩も参拝客も神官も巫女も一堂にこれを拝聴し、午後には吹奏楽団による「海行かば」の奉納があった。

10年後の今日僕はアドリアの海に行かむ。

イタリア時間の正午には、心の中で日本に服喪の意を発するつもりである。

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